以前mixiの「高校野球クイズリレー」というトピックに書き込んだ」ネタを再録します。
話は簡単、「センバツの優勝校と準優勝校が夏に対戦したケースはいくつあるか?」というのを調べてみました。
私の調べた限りでは7回あります。左がセンバツでの優勝校です。
1925年 松山商3-8高松商 四国大会準決勝
1932年 松山商3-0明石中 甲子園準決勝
1938年 中京商0-1東邦商 東海大会愛知予選2回戦
1939年 東邦商6-5岐阜商 東海大会1回戦
1948年 西京商3-2西陣商 京滋大会京都予選1回戦
1958年 済々黌5-0中京商 甲子園2回戦
2007年 常葉菊川6-1大垣日大 甲子園準々決勝
地方予選での対戦が4度、甲子園での対戦が3度あったわけですね。
よく知られていることですが、昔の予選は「1県1代表制」ではなく、複数の県から1校選ぶのが普通でした。
特に強豪が固まっている東海や四国大会で、センバツの再現が多かったわけです。
その中でも例外は西京商-西陣商。センバツでは京都一商、京都二商という名前でした。リベンジマッチがいきなり予選の1回戦で実現したわけですから、盛り上がったでしょうね。
同県勢でのセンバツといえば、1941年の東邦商-一宮中、1972年の日大桜丘-日大三というケースもありました。
しかし、1941年は戦争により予選が中止となり、1972年は日大三が都戸山に敗れているためいずれも再戦はしていません。
さて、今年の夏、清峰と花巻東が対決するにはまず予選を勝ち抜かないといけません。どちらもプロ注目の投手を擁するとはいえ、厳しい道のりになるでしょう。
多分誰も気にしませんが、タイトル通り春関における神奈川県勢が通算161勝を記録しました。
開始前の時点で通算159勝。ここに横浜、横浜商大高がそれぞれ1勝して2勝を上積みしました。2校の勝利は同日で違う球場でしたので(横浜は高崎城南、商大は県営敷島)、どちらが160勝目かは私にはわかりません。
ちなみに他県の通算勝利数は、東京135勝、埼玉129勝、千葉106勝......と続きます。神奈川県がいかに他県を圧倒しているかがわかりますね。
秋の関東も神奈川が通算128勝でトップ。他の6県の勝利数はまだ2桁ですから、ぶっちぎりと言っていいでしょう。
センバツには慶応が出ましたが、神奈川には強いチームがいくらでもあります。そこが関東で勝ちを稼げる理由でしょうね。
今回の記事は独自の集計をもとにしています。資料をネット上に置いておきますので、マニアな方は自分のものと付き合わせてみて下さい。資料:kanto.lzh。
5月16日から始まる春季関東大会に、千葉明徳が初出場します。どんな相手と戦ったのかはわかりませんが、激戦の千葉を勝ち抜いての出場は価値あるものです。
さて、本題に入りましょう。
千葉県はなぜか関東大会を経験した学校が多い県です。1948年秋に出場した千葉高校(現・県立千葉)を皮切りに、千葉明徳を含めて44チームもあるのです。
といっても他の県と比較しないとわかりませんね。
2009年春までに、各県が関東大会を経験したチームの数は以下の通りです。
茨城:45
埼玉:44
千葉:44
東京:30
栃木:29
群馬:29
神奈川:28
山梨:27
※注 現存している高校のみをカウント
茨城、千葉、埼玉の学校数の多さが目立ちますね。他の1都4県が30以下なのに比べると、この差は顕著です。
原因は何でしょうか。思うに「中堅チームが多いこと」にあると思います。
どの県でも甲子園を狙える(=地区大会出場できる)レベルにある高校が複数あり、それが上位層を形成しているものですが、時にはその層を突き抜ける中堅チームがあります。
千葉、埼玉、茨城は、そういった中堅チームが比較的多いのではないでしょうか。現に2008年秋の関東でも、茨城は水戸桜ノ牧、埼玉は川口青陵という新顔が登場しています。
逆に3県以外のチームは、県の上位に残れるチームがある程度限定されているのでしょう。特に東京は高野連加盟校が約250ありながら、関東大会経験校は30ですから、上位はほぼ固められていることになります(甲子園経験校も32、但し他県に移転した立教新座と慶応除く)。
もちろん、これはいい悪いとは別の話です。
最近のニュースから。
中学サッカー(正確にはフットサル)にて、わざと敗退するためにコーチが生徒にオウンゴールを指示した、という出来事がありました。
スポニチアネックスの記事を一部抜粋します(記事ページ)。
*****記事抜粋ここから*****
日本サッカー協会は9日の理事会で、1月に新潟県内で行われた中学フットサル大会1次リーグで生徒にわざと大量失点で負けるように指示し、6連続のオウンゴールをさせるなどして0―7で大敗させた中学コーチの教頭(47)を、1年間のサッカー関連活動停止の処分にした。
日本協会や教頭によると、1次リーグ突破が決まっていた同校は1位通過すれば相性が悪いチームと準決勝で当たる可能性があったため、教頭は2位通過で別のブロックに入るよう故意に大敗を指示したという。
*****記事抜粋ここまで*****
この作戦の是非はさておいて、野球でも似たようなケースがあったのを思い出しました。もう何年も前でうろおぼえなのですが、書いてみます。
ある中学校の野球部が、公式戦で全打席でバントを試みるという戦法をとり、負けました。理由はある制度への「抗議」でした。
中学の軟式野球には二つの全国大会があります。一つは、学校単位で参加する「全国中学校軟式野球大会(以下全中)」。もう一つは学校単位に加えて地域のクラブチーム単位でも参加できる「全日本少年軟式野球大会(以下全日本)」。
この二つの大会、実はどちらも夏に開催します。高校野球のセンバツと選手権というよりは総体と選手権のような関係です。
学校単位のチームはいずれの大会の予選にも参加できますが、全国大会は日程が近いために一方しか出られません。前述の中学校は予選を勝って「全中」の出場権を得たのですが、そのために「全日本」には出られなくなったのです。
この制度に抗議するために、選手は「全日本」の予選で全打席バントを試み、負けました。勝っても負けても全国には行けないのはなぜだ、と。中学野球としては珍しくニュースにもなったので、私もそこで知りました。
この抗議を受けてかどうかはわかりませんが、今ではどちらの全国大会にも参加できます。平成13年、明徳義塾中は「全日本」で準優勝、「全中」で優勝、という快挙を達成しています。
だいぶ前のニュースなので、ひょっとすると大会を勘違いしているかもしれません。しかしあえて負けるために全打席でバントという戦法をとったチームがいたのは確かです。
☆補足
ちょっと検索すると、このニュースを日記に書いていた方がいました。「平成12年6月13日の独り言」(中段あたり)
2chにも記事が残っていました。「涙の全員バント」
今回記事になったフットサルチームは、大会のシステムを利用するためにわざと負けました。平成12年の野球チームは、大会のシステムに抗議するためにわざと負けました。
プレイヤーの経験もない私が言うことでもないでしょうが、ゲームに勝つ・負ける以外の要素を混ぜるのは、ひどくつまらないことではないかと思います。
本日センバツ大会決勝が行われ、長崎・清峰が岩手・花巻東を1-0で降し初優勝しました。
長崎県勢の優勝も初めて。一方、岩手が決勝に進出したのも春夏通じて初めて。両校とも素晴らしい戦いぶりでした。
さて、清峰の優勝により、いまだ優勝経験のない県は15となりました。
数年前に「優勝経験のない都道府県の最高成績」というページを作ってからしばらくして、北海道が夏の優勝を果たしました。
そして今年、長崎の優勝。
残り15県に優勝旗が持ち帰られる日も近いと感じます。
個人的には、夏こそ東北勢の優勝を見たいと思っています。
ところで、岩手の高校野球といえば高校野球漫画「クロカン」を描いた三田紀房先生の出身地なのですが、今年はどの媒体にもコメントしていないようです。以前花巻東が夏に出た時は応援記事を書いてたのですが......。
今日は高校野球ニュースを取り上げます。
「大月短大付など32の高校を処分」日刊スポーツ他
****以下、記事の抜粋****
日本学生野球協会は12日、審査室会議を開いて35件(高校32、大学3)の処分を決めた。
(中略)
対外試合禁止処分は次の通り。
【高校】▽西成(大阪)08年11月10日~12月9日=部員の部内暴力▽薩南工(鹿児島)08年11月17日~09年5月16日=部員の部内暴力・いじめ▽酒田北(山形)08年11月28日~09年2月27日=部員の部内暴力・恐喝▽鳥取工(鳥取)08年11月20日~09年2月19日=部員の部内いじめ▽静岡の高校(校名非公表)08年12月11日~09年1月10日=部員の部内いじめ▽松山商(愛媛)08年12月9日~09年1月8日=部員の部外暴力・いじめ▽三井(福岡)08年11月21日~12月20日=部員の喫煙▽沼南(広島)08年12月22日~09年1月21日=部員の喫煙▽室戸(高知)08年12月11日~09年6月10日=部員の喫煙・飲酒・恐喝・暴行▽北海道栄(北海道)08年11月18日~12月17日=部員の万引▽上野農(三重)08年12月12日~09年1月11日=部員の万引・万引ほう助・自転車窃盗・盗品授受▽東洋大牛久(茨城)2月16日まで延長=対外試合禁止中の部員の窃盗
****抜粋ここまで****
特筆すべきは太字で示した「静岡の高校(校名非公表)」でしょう。
不祥事に対する処分のニュースは何度も見ていますが、校名非公表のケースは初めて確認しました。
個人的に言わせてもらえば、「非公表にするぐらいなら書くな」と思います。
こんな曖昧な表記をしたばかりに、静岡のあちこちの高校が痛くもない腹を探られることになるのです(実際は痛いかもしれないけど)。それなら初めから処分したこと自体を報道しなければいい。
隠すなら、中途半端にやらずきっちり隠して欲しいものです。
2月25日追記
よく見てみると、静岡(非公表)の対外試合禁止期間は1月10日まで。
これ、実質ペナルティなしと同じなのでは?
ますますよくわかりません。
皆様、明けましておめでとうございます。
昨年人気を博した大河ドラマ「篤姫」ですが、ラストに徳川家十六代目の家達(いえさと)という少年が出てきましたね。
江戸城を出た天璋院篤姫が後見役をしていた人物です。
さて、その家達の弟に達孝(さとたか)という人物がおりますが、この人は「三田ヘラクロス(ヘリクレス)」なる野球チームを作ったことで知られています。
その時期は明治13(1880)年頃、まだ野球が日本に伝わって十年経つか経たないか。しかも三田にある自分の邸宅をつぶして専用の運動場まで作ったといいますから、半端な熱中ぶりではなかったんでしょう。
慶喜はカメラの愛好家だったといいますし、篤姫も日本で初めてミシンを使った人物と呼ばれることがあります。
武家の象徴たる徳川将軍家ですが、けっこう新しもの好きだったんですね。
【参考】
徳川達孝(Wikipedia)
経済用語に「パレートの法則」というものがあります。
別名80:20の法則とも呼ばれます。
例えば、あるお店の売り上げ8割を生み出しているのは、全ての商品のうち2割。仕事の成果の8割は、仕事をしている時間の2割で生み出している......このような使い方をされます。
ただし、80:20の数値は絶対ではなく「全体のうちの一部」を表現している割合にすぎません。
また重要なのは2割なので残りは軽視してよい、というような論法ではないので誤解のなきよう。
さて、このパレートの法則が野球にもあてはまるか検証してみましょう。
今回は「打点」について調べてみます。
「全体の打点のうち8割を生み出しているのは全打者のうち2割である」......さて、あてはまるでしょうか。
サンプルは昨年と今年の夏の優勝校です。まず数字を見てみましょう。
2008年夏 大阪桐蔭
萩原 15
奥村 9
福島由、森川 6
浅村、佐野、福島康、有山 4
清水 3
中谷 2
合計57打点
2007年夏 佐賀北
副島 7
大串 6
市丸、江頭、馬場、井手 3
辻、田中 2
新川 1
合計30打点
<em>検証編</em>
☆2008年大阪桐蔭の場合
打点の8割......45.6
打点の多い選手から順に足していくと、萩原(15)+奥村(9)+福島由(6)+森川(6)+4打点のうち2人(8)=44
つまり6人の選手で8割の打点を生み出している。
しかしベンチ入り18人の2割は3.6人だから、6人はそれより明らかに多い。よってあてはまらない。
☆2007年 佐賀北の場合
打点の8割......24
副島(7)+大串(6)+3打点の4人(12)=25
つまり6人の選手で8割の打点を生み出している。こちらもあてはまらない。
80:20の法則は2チームとも当てはまりませんでした。
考えてみますと、優勝チームともなれば主力打者以外も打ちますから、打点8割が2割の選手に集中するケースはあまりないのかもしれません。
それに打点は本人以外の要素も関わってくる数値ですし(走者がいないと稼げない)、ちょっと検証には不向きな数値だったかな?
気を取り直して、70:30などで調べてみましょう。
大阪桐蔭
打点の7割 39.9≒萩原(15)+奥村(9)+福島由(6)+森川(6)+4打点のうち1人(4)
ベンチ入り18人の3割 5.4人 上の計算では打者5人
よって成り立つ。
佐賀北
打点の7割 21≒ 副島(7)+大串(6)+3打点のうち3人(9)
こちらも打点7割を打者5人で生み出している。
よって成り立つ。
70:30だと当てはまると考えてもよいですね。
他のチームの打点のデータがわかれば、また検証してみたいです。
例えばプロだとどうなるか? 投手や守備の記録だとどうなるか?
色々試せそうですね。
野球好きとして一度は行っておきたかったので。
結論から言います。
「行くほどでもありません」
まず展示スペースが小さい。10人の団体さんが来たらもう狭くなってしまう。
美観地区というところは昔の町並みを保存してある観光名所ですが、
そんなところに広く記念館を作るスペースはなかったんでしょう。
次に展示品が少ない。
パンフには200点とあったけど100点もなかったように思います。
それからビジュアル的な資料が少ない。
野球選手の記念館なら現役時代の映像・写真をもっと見たかったですが、ほとんどありません。
中日時代を振り返って欲しくないのか? と勘ぐってしまう。
東京ドームにある「野球博物館」のような、時代がよくわかるものを期待していましたが、いまいちでした。
まあ、でも自分がズレてるのかもしれません。
昔の新聞の縮刷版とか読んで面白がる人は、そんなにいないだろうから…。
それに大人500円という安さならあんなものかも。
あまり期待しないで美観地区の観光スポットの一つ、ぐらいの気持ちで行くといいでしょう。
美観地区では船旅もできますし、美術館もあります。
縮刷版を眺めていたら次のような記録に遭遇しました。
全国高校野球選手権東京大会 立正-東工大付工
東工大付工は(中略)無死満塁の好機をつかんだ。(中略)東工大付工は小助川の一撃に期待したが三振このとき三塁走者は本塁で、二塁走者は三塁でそれぞれ立正高野手の好送球に殺されて三重殺を喫してしまった。
三重殺と明記されているからには、打者三振、三塁走者と二塁走者のアウトは連続プレーだったのでしょう。無死満塁で東工大付工がエンドランをかけたのか? あるいは打者がスクイズを外され走者が飛び出したところを刺されたのか? それとも単に走者が飛び出していたところを刺されたのか? いずれにしても、二塁走者までアウトになるのは珍しい。
当時を知る方に是非話をうかがってみたいところです。また、見だしには立正、華麗な三重殺と明記されていることも付け加えておきます。
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