センバツ、東北高校参加予定。プロ野球はどう決断する?
前回のブログの続きです。

東北高校がセンバツが開催されるなら出場予定であることを、16日に発表しました。
19日に大阪入りするとのことです。

「センバツ、東北高は出場意向 大阪入りを準備」
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031601000654.html

移動できるかどうかが心配です(空路でしょうか?)。

といって、個人レベルで東北や光星学院(青森)、水城(茨城)に何かできるわけもなく。
募金でもしようと思いましたが、3校への支援になる口座は見当たりませんでした。
素直に日本赤十字でいいのかな。


さて、プロ野球でも動きが。
延期の方針であるパに対し、セは予定通り25日開幕の予定だそうです。
「プロ野球:セ「25日開幕」で一致 選手は困惑」
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110317k0000m050098000c.html

記事にあるように、選手からは戸惑いの声が出ています。

ヤクルトの宮本選手「復興が見えた時に(被災者を)勇気づけようというのはいいと思うが、いま野球で勇気づけようというのは思い上がり」

元広島、現西武打撃投手の広池も、ブログで似たような意見を書いています。
「試合開始の是非」
http://spora.jp/hiroike/archive/110/0

試合の開催理由が「野球をすることで被災地を勇気づけたい」とするのなら、それは現時点では思い上がりに過ぎないでしょう。以前にも述べた通り、プロ野球選手のプレーが被災した方々の力になれるのは、被災地が復興への道筋を歩み始めてからです。現時点では時期尚早なのは明白です。
「興行で被災地を勇気づける段階ではない」という点で、二人の意見は一致していますね。

じゃあセンバツ、高校野球って興行か? というと、微妙なところ。
膨大な収益のある興行でもあるし、学生スポーツでもある。
両面あるから高野連も悩むのだと思います。

センバツ開催の最終判断は18日。どう決断するでしょうか。


| 野球 | 12:11 | comments (0) | trackback (0) |
センバツ大会は中止するべきか?
「東日本大震災:第83回センバツ高校野球 抽選会、きょう方式検討」
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110313ddm035050130000c.html
概要:大会本部は13日に臨時運営委員会を開き、抽選会の方式や大会実施方法などを検討

センバツ大会がひとまず開催の方向のようです。
ネットでは「中止するべき」「開催して東北に元気を」と色々な意見があります。

私の放置気味のサイトにも投稿がありました。

「東北地方が壊滅状態にある。この時期2週間も遊びに費やす気持ちが信じられません」

読んで、ちょっと考えました。
私は野球経験者ですらないけど、するべきかどうか。

もちろん高野連も非常事態であることは理解しているでしょう。
じゃあなぜ開催と決めたのか。
イベントを普段通り行うことも大事だからではないでしょうか。

災害があったから、自粛すればそれでいいのか。
重苦しい顔で、東北の人たちのことばかり考えなければいけないのか。
これを突き詰めれば子どもの誕生パーティすらするべきではない、ということになります。

開催するとしても、色々な措置をとれば良い。
まず延期。
大会の入場料を義援金として送れば、それも貢献です。
センバツは1日3試合が基本ですが、4試合にして日程を縮小することもできる。

とりあえず、頭ごなしの批判は意味がないと思います。
どうしても言いたいことがある場合は、直接高野連にぶつけてみてはいかがでしょうか。

財団法人 日本高等学校野球連盟

〒550-0002

大阪市西区江戸堀1-22-25 中沢佐伯記念野球会館内

TEL:06-6443-4661

FAX:06-6443-1593


参考:http://www.jhbf.or.jp/summary/federation_list/

※追記
13日の委員会で、通常の日程での開催が決まりました。
「高野連、選抜開催へ準備=東北は1回戦最後に組み入れ--高校野球」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/hs/11spring/headlines/20110313-00000085-jij-spo.html

◎記事より今後の予定
14日 代表者会議、キャプテントーク ※キャプテン研修会は中止
15日 組み合わせ抽選会(東北高は出席せず)
18日 臨時運営委員会 開催の最終決定
23日 開催 ※東北は1回戦最後に組み入れる



| 野球 | 10:12 | comments (0) | trackback (0) |
甲子園優勝経験のあるプロ野球監督
タイトル通りですが、久々の調べものネタです。
今日、ヤクルトの小川淳司監督代行が、正式に監督に就任しました。これで体制も定まったことだし、csに向けて戦って欲しいものです。

さて、小川監督といえば、習志野高時代にピッチャーとして夏の甲子園優勝も経験しています(1975年)。
小川監督のような、選手として甲子園優勝を味わい、かつプロの監督までのぼりつめた人となるとそういないはず。
ちょっとリストアップしてみました。

水原茂(高松商、1925年夏と1927年夏)
鶴岡一人(広島商、1931年春)
野口明(中京商、1933年夏)

藤村富美男(呉港中、1934年夏)
植村義信(芦屋、1952年夏)
王貞治(早稲田実、1957年春)

高田繁(浪商、1961年夏)
八木沢荘六(作新学院、1962年春夏)
有藤通世(高知、1964年夏) ※甲子園では1回戦で顔面に死球を受け、その後欠場
小川淳司(習志野、1975年夏)

調べた限りでは、なんとこれで10人目という超レアケース。
甲子園優勝はしてもプロでは大成せず、プロで成功していても甲子園は出ていないか優勝していない、という人々が大半の中、この方々は運と才能を持ち合わせた人物といえるでしょう。

それにしても、同じ共通項を持つ高田さんから小川さんへバトンが渡るというのは運命的です。

桑田氏や立浪氏といったPL出身者が監督になれば、一気に数が増えますね。


| 野球 | 21:31 | comments (0) | trackback (0) |
開星野々村監督、お疲れ様でした

開星の野々村監督が本日監督を辞任しました。


ここをご覧になっている方はご存じかと思いますが、一応事の経緯をまとめてみます。


(1)22日、開星がセンバツ1回戦で向陽に敗退。
(2)試合後のインタビューで野々村監督が「21世紀枠に負けて末代までの恥。死にたい」などと発言。
(3)23日、高野連から開星に厳重注意。監督が謝罪。
(4)25日、監督が辞任。


ここで元監督を擁護するつもりはありません。若者を導く立場にある人ですから、発言には気をつけなければいけなかった。
ただ一言、お疲れ様でしたと言いたいです。
秋、広陵を降した試合を観戦した限りでは、開星は勝ち進む可能性を秘めたチームでした。


さて、日経新聞がこの件で24日にコラムを書いています。
記事はWEB化していないのでうろおぼえなのですが、そこには「21世紀枠という、通常と基準が異なる制度にも問題はある」と書かれていました。


さて問題とは?


21世紀枠は、秋季大会の成績だけでなく、野球以外の要素(ボランティア等)で大会にエントリーされる制度です。


今のセンバツは秋季大会の上位校と21世紀枠の数校で優勝を争います。つまり、選出の基準が混在しているのです。


もちろん、どんな大会にするかは主催者が決めることですから、基準をバラバラにしてしまってもそれはそれで良い。
しかし、見る者や関係者にどこか違和感を感じさせてしまう。野球が大会というものがシンプルにとらえられなくなってしまう。それが問題だと思います。


21世紀枠は、実力は通常の基準に満たない学校ということ。当然、通常の基準でセンバツに出たチームは実力的には21世紀枠より上、という図式ができます。


野々村監督の「21世紀枠に負けて恥」という発言も、そういう意識があったのだと思います。口に出さないだけで、そう感じる人はいるでしょう。


実力以外の選出基準を設けることは、そういう意識を生んでしまうのです。


今回のことで思うのは、


もし21世紀枠の学校がセンバツで優勝したら、いったいどうなるんだ?


ということです。


そのチームは強者であると同時に、秋の時点では本来センバツに出られる成績ではないが、野球以外で評価される点があった、ということです。


私たちファンは、ニュースはその優勝をどう言葉にするのでしょうか。


01年の宜野座、09年の利府はベスト4まで進みました。ありえない話では、ありません。


3/28追記


野々村監督の辞任に関して、ライターの横尾弘一さんが、「メディアが何をするべきか」について簡潔に書いています。
皆さんもぜひ目を通してみてください。
僕らは神様じゃないんだ - 横尾弘一の「野球とともに生きている」



| 野球 | 23:44 | comments (0) | trackback (0) |
島根・開星の神宮大会出場回数は?

14日から始まる明治神宮大会、中国地区からは島根・開星が出場します。


岡山県民としては戦いぶりも気になりますが、記録マニアとしてはそれより出場回数が気になるところ。


開星は11年前、1998年の神宮大会に出場しているので、普通に考えたら2度目。
しかし、この時開星はある規定違反を犯し、試合記録を無効とされています。
(詳しくは、高校野球「事件史」等を参照)


となると出場回数もリセットされるのか?
主要なニュースサイトを調べてみたところ、過去の違反には触れても回数に名言しているところはありませんでした。


さて、開星は2度目なのか、初なのか。
無論、今の選手やスタッフにはさしてどうでもいいことですが。



| 野球 | 21:56 | comments (0) | trackback (0) |
何で秋季大会の扱いがこんなに軽いの?

10月4日の日記では「スポーツサイトでの国体のニュースは、記録面の扱いが軽い」と書きましたが、各地区の秋季大会でも同じのようです。
どこもかしこもランニングスコアか、文章で試合経過しか載せていない!
よくて投手、本塁打止まり。捕手や長打まできっちり載せているのは、確認しただけではMSN産経のみ。


「秋季大会はセンバツ選考での重要資料」だから、細かい情報を期待している人がいると思うのですが...。
それとも、紙面では載せててWebでは簡略化してるのでしょうか。


ま、とにかくこれからしばらくはMSN産経を継続してチェックすることにします。


| 野球 | 12:14 | comments (0) | trackback (0) |
主要ニュースサイトにおける国体の扱い

タイトルは小難しくなってしまいましたが、つまり「記録面はお粗末!」ということです。
選手権ともなるとどのサイトもプロ並みに詳しく報道しますが、国体となると極端にアバウトになります。


細かく比較してみると、


朝日 得失点のみ
毎日 得失点のみ
日刊 得失点のみ
スポニチ ランニングスコア、投手、ホームラン
サンスポ ランニングスコア、バッテリー、ホームラン


記録面で一番しっかりしてたのはサンスポでした。


つまるところ、菊池君や堂林君の動向さえ報道しておけば事足りるんでしょうね。



| 野球 | 22:05 | comments (0) | trackback (0) |
新たな歴史

今日、中京大中京が7度目の優勝を決めました。おめでとうございます。


相手は県勢初の優勝を目指す新潟・日本文理。どちらが勝ってもドラマチックなカードでしたね。


それにしても新潟が舞台の大河ドラマ(天地人)の年に新潟が準優勝というのもできすぎた話。相手が織田や徳川の領地だった愛知代表というのも含めて。


そういえば07年夏は新潟明訓と山梨・甲府商が対戦して「現代の川中島」と言われていました。この年の大河は「風林火山」だったのです。


大河ドラマと高校野球の関係を調べるのも面白いかもしれません。......でも、毎年更新が必要なものをこれ以上増やしたくもないな。どうするか。



| 野球 | 22:54 | comments (0) | trackback (0) |
「大正野球娘」はありえる

最近、「大正野球娘」という小説が人気があるそうです。内容はそのままで、大正時代にお嬢様がチームを作って野球をする話だとか。
そのうち読んでみるつもりです。


大正時代の女子野球について資料は全然持っていませんけれども、一つ面白いエピソードを紹介します。


かつてプロ野球に三原脩という監督がいました。西鉄時代には個性的な選手を率いて1956,57,58年と日本シリーズ三連覇を果たすなど、名監督の筆頭に上がる人物です。


その三原さんに最初に野球を教えたのはなんと資産家の娘さんだったそうです。


小学校時代の三原さんは草野球に熱中していたのですが、そこに三原さんの姉の友人が加わります。彼女はどこを守らせてもうまく、とりわけ投手をさせると誰も打てませんでした。


その上、お嬢様育ちでありながら男勝りの性格と気っぷの良さで、三原少年たちのリーダーに収まってしまった、というのです。
三原監督が自著で「私が野球にのめり込むきっかけ」とまで書いた女性。現代に生まれていたら相当すごい選手になっていたかもしれません。


三原さんは明治44(1911年)生まれ。少年時代というと1920年代。つまり大正年間に当てはまります。


というわけで、大正時代に女子野球チームがあってもいいんじゃないか、と思っています。 


参考文献「魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ」(立石泰則著)



| 野球 | 23:56 | comments (0) | trackback (0) |
追悼

16日、元東京都高野連理事の佐藤道輔(さとう・みちすけ)さんが亡くなりました。71歳。ご冥福をお祈りします。


佐藤さんは昭和12年生まれ、宮城県仙台市出身。仙台二高時代は投手と内野手でした。


早大卒業後、社会科教師として都立大島高校にやってきたのが昭和36年。そこから一貫して野球部の指導を続けています。


以降都久留米、都昭和の監督を経て、最も有名なのが都東大和高の監督時代。2度(1978年、85年)西東京大会準優勝という成績を残しています。


その足跡を記した自著「甲子園の心を求めて」シリーズは、公立校を指導する監督のバイブルとなっているそうです。


☆「甲子園の心を求めて」シリーズ(計4冊)
甲子園の心を求めて」(1975年。1979年に新版、1999年に改訂新版あり)
続甲子園の心を求めて」(1979年)
新甲子園の心を求めて」(1992年)
ふたたび甲子園の心を求めて」(1998年)


しかし、東京都高野連のページはお悔やみなどは載せないんですね。長年の功労者の筈なのですが...そんなもんなのかな? 



| 野球 | 23:20 | comments (0) | trackback (0) |


  
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