開星の野々村監督が本日監督を辞任しました。
ここをご覧になっている方はご存じかと思いますが、一応事の経緯をまとめてみます。
(1)22日、開星がセンバツ1回戦で向陽に敗退。
(2)試合後のインタビューで野々村監督が「21世紀枠に負けて末代までの恥。死にたい」などと発言。
(3)23日、高野連から開星に厳重注意。監督が謝罪。
(4)25日、監督が辞任。
ここで元監督を擁護するつもりはありません。若者を導く立場にある人ですから、発言には気をつけなければいけなかった。
ただ一言、お疲れ様でしたと言いたいです。
秋、広陵を降した試合を観戦した限りでは、開星は勝ち進む可能性を秘めたチームでした。
さて、日経新聞がこの件で24日にコラムを書いています。
記事はWEB化していないのでうろおぼえなのですが、そこには「21世紀枠という、通常と基準が異なる制度にも問題はある」と書かれていました。
さて問題とは?
21世紀枠は、秋季大会の成績だけでなく、野球以外の要素(ボランティア等)で大会にエントリーされる制度です。
今のセンバツは秋季大会の上位校と21世紀枠の数校で優勝を争います。つまり、選出の基準が混在しているのです。
もちろん、どんな大会にするかは主催者が決めることですから、基準をバラバラにしてしまってもそれはそれで良い。
しかし、見る者や関係者にどこか違和感を感じさせてしまう。野球が大会というものがシンプルにとらえられなくなってしまう。それが問題だと思います。
21世紀枠は、実力は通常の基準に満たない学校ということ。当然、通常の基準でセンバツに出たチームは実力的には21世紀枠より上、という図式ができます。
野々村監督の「21世紀枠に負けて恥」という発言も、そういう意識があったのだと思います。口に出さないだけで、そう感じる人はいるでしょう。
実力以外の選出基準を設けることは、そういう意識を生んでしまうのです。
今回のことで思うのは、
もし21世紀枠の学校がセンバツで優勝したら、いったいどうなるんだ?
ということです。
そのチームは強者であると同時に、秋の時点では本来センバツに出られる成績ではないが、野球以外で評価される点があった、ということです。
私たちファンは、ニュースはその優勝をどう言葉にするのでしょうか。
01年の宜野座、09年の利府はベスト4まで進みました。ありえない話では、ありません。
3/28追記
野々村監督の辞任に関して、ライターの横尾弘一さんが、「メディアが何をするべきか」について簡潔に書いています。
皆さんもぜひ目を通してみてください。
僕らは神様じゃないんだ - 横尾弘一の「野球とともに生きている」
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