2010,09,20, Monday
タイトル通りですが、久々の調べものネタです。
今日、ヤクルトの小川淳司監督代行が、正式に監督に就任しました。これで体制も定まったことだし、csに向けて戦って欲しいものです。
さて、小川監督といえば、習志野高時代にピッチャーとして夏の甲子園優勝も経験しています(1975年)。
小川監督のような、選手として甲子園優勝を味わい、かつプロの監督までのぼりつめた人となるとそういないはず。
ちょっとリストアップしてみました。
水原茂(高松商、1925年夏と1927年夏)
鶴岡一人(広島商、1931年春)
野口明(中京商、1933年夏)
藤村富美男(呉港中、1934年夏)
植村義信(芦屋、1952年夏)
王貞治(早稲田実、1957年春)
高田繁(浪商、1961年夏)
八木沢荘六(作新学院、1962年春夏)
有藤通世(高知、1964年夏) ※甲子園では1回戦で顔面に死球を受け、その後欠場
小川淳司(習志野、1975年夏)
調べた限りでは、なんとこれで10人目という超レアケース。
甲子園優勝はしてもプロでは大成せず、プロで成功していても甲子園は出ていないか優勝していない、という人々が大半の中、この方々は運と才能を持ち合わせた人物といえるでしょう。
それにしても、同じ共通項を持つ高田さんから小川さんへバトンが渡るというのは運命的です。
桑田氏や立浪氏といったPL出身者が監督になれば、一気に数が増えますね。
今日、ヤクルトの小川淳司監督代行が、正式に監督に就任しました。これで体制も定まったことだし、csに向けて戦って欲しいものです。
さて、小川監督といえば、習志野高時代にピッチャーとして夏の甲子園優勝も経験しています(1975年)。
小川監督のような、選手として甲子園優勝を味わい、かつプロの監督までのぼりつめた人となるとそういないはず。
ちょっとリストアップしてみました。
水原茂(高松商、1925年夏と1927年夏)
鶴岡一人(広島商、1931年春)
野口明(中京商、1933年夏)
藤村富美男(呉港中、1934年夏)
植村義信(芦屋、1952年夏)
王貞治(早稲田実、1957年春)
高田繁(浪商、1961年夏)
八木沢荘六(作新学院、1962年春夏)
有藤通世(高知、1964年夏) ※甲子園では1回戦で顔面に死球を受け、その後欠場
小川淳司(習志野、1975年夏)
調べた限りでは、なんとこれで10人目という超レアケース。
甲子園優勝はしてもプロでは大成せず、プロで成功していても甲子園は出ていないか優勝していない、という人々が大半の中、この方々は運と才能を持ち合わせた人物といえるでしょう。
それにしても、同じ共通項を持つ高田さんから小川さんへバトンが渡るというのは運命的です。
桑田氏や立浪氏といったPL出身者が監督になれば、一気に数が増えますね。
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