2015,06,03, Wednesday
2012年4月、小学館発行。安部結貴・作、大葉リビ・まんが。
入院しちゃったうつウーマン
「わたしは働くうつウーマン」の続編にあたる作品。
◎あらすじ
16年間苦しんだ「うつ」が寛解!
その喜びもつかの間、今度は「双極性障害」、いわゆる「躁うつ病」が安部さんを襲う。
元うつウーマンは精神科閉鎖病棟への入院を決意。
イメージが先行している「精神科病棟」。
その生活の実態、患者との交流を内部から描く。
安部結貴さんの作品の感想は、カテゴリからご覧ください。
◎内容
あらすじでも書きましたが、
精神科病棟での入院生活を描いたコミックエッセイです。
内容は重く暗いものですが、大葉リビさんのコミカルなタッチで読みやすい。
精神科病棟には
「開放病棟」(日中出入り自由)
「閉鎖病棟」(自由な出入り不可、面会も医師が許可した人だけ)
の2種類があるそうです。
安部さんが選んだのは、「閉鎖病棟」。
「開放」も選べたのに、なぜ?
外には出られないけれど、それは外からも入ってこられないということ。
何でもいいから、誰かに守られていたかった。
食と住はもちろん、現在も未来も。(44p)
絶え間ない不安と恐怖に襲われる中で、
「見舞い」と称してドスドス踏み込んでこられてはたまらない。
拘束・監視はされるけれども、そんな侵入から患者を守ってくれる。
「閉鎖病棟」とは、そういう場所だそうです。
「閉鎖」にいようが「開放」にいようが、精神科は精神科。
それならばいっそ、思いっきり精神科入院ライフを満喫しようじゃないか。(44p)
さすがフリーライター、自分の名前で食ってる人は覚悟が違う。
◎印象的なくだり
病棟に持って入れない物
紐、耳かき、爪切り、はさみ、携帯電話、PC、など。
自殺や他傷できる道具や、外と接触できるツールはダメ、ということですね。
男性はひげそりはどうするかというと、
男性ナースの立会いのもとでのみ使用できるそうです。
食事は共通のフロア
先輩患者と、意外と普通に話しながら食事できたらしい。
病棟内でのタブー
人を助けてはいけない、物の貸し借りしてはいけない、物をあげてはいけない。
理由は明記されてませんが、トラブルになりやすいからかな。
OT(精神作業療法)
塗り絵やクロスワードパズルの他、
外でカラオケなどもあるとか。
保護室
主に警察沙汰を起こし、強制措置入院させられた人が入る場所。個室。
食事は刑務所のように、扉の窓から。
暴れる恐れのある人は、拘束具が使用される
(デスノートでミサが縛られたようなやつ?)。
栄養は点滴、尿はカテーテル、そしておむつ。
問題行動を起こさないようになれば、閉鎖病棟へ移されるのだとか。
医療ソーシャルワーカー
医師、看護師とは違う、患者を援助する役割の人。
中立の立場なので、相談しやすいらしい。
◎「普通」「まとも」と「異常」「おかしい」
最後の章には、様々な理由で閉鎖病棟入りした人々が登場する。
それを見るにつけ、
「普通」「まとも」って何?
「異常」「おかしい」って何?
と考える。
考えても何も浮かばないけどね。
例えば、元・銀座高級クラブのママだったお婆さん。
親戚にだまされ、お店とお金を失って体と心を病んだという。
だましてのうのうと暮らしている(かもしれない)親戚は、
「まとも」なのだろうか?
お金を持ち、日常生活ができるというだけで?
また、ある日の面会者の男性の話。
突然、その男性の携帯電話が鳴り始めた。
殺気立つ患者。
しかし、その男性は平然と電話に出てしゃべり始め、隣の妻らしき女性もそれを止めない。
看護師が止めたから良かったものの、
もしかすると敏感な患者が暴れ出していたかもしれない、という。
敏感でなくても、携帯を取り上げられている患者にとって癇に障る行為である。
この、配慮もできない無神経な中年男は「まとも」だろうか?
「脳も内蔵のひとつ」とは、ある医師がいった言葉。
だから「心の病」なんてあやふやなものは存在しない。
そして、「内臓」を患った人は、悪人ではない。
それどころか、脳の病気は人から理解されにくいので、
ひとり悩んで、みな、自責の念にかられていた。
まさに「精神病ですみません」。(116p)
骨折や出血と同じように、体の一部がダメージを受けているだけ。
それを治そうと、本人なりに努力している。さらに自分を責めてもいる。
でも、世間は「病んだ人」を敬遠するし、
マスコミは「犯罪者=異常者→精神障害者」扱いする。
そんな世間には、
他人のお金を奪ってゼイタクな暮らしをしたり、
マナーモードすら知らない「まとも」な人たちがいるわけで。
相手を知らないと寛容になれない。
寛容になれないと、団体生活がうまくいかない。
団体生活ができないと、社会で幸せになれない。
私がいうのも何だけれど、
そのことを、最近の人々は忘れているような気がする。(118p)
理解や歩み寄り、寄り添うこと。
大事だなと、改めて思いました。
例えば、電車でたまにブツブツ言ったり車掌のマネする人は不気味だけど、
小さい子がやってると思えば、可愛いもんじゃないか?
難しいけどね。
入院しちゃったうつウーマン
「わたしは働くうつウーマン」の続編にあたる作品。
◎あらすじ
16年間苦しんだ「うつ」が寛解!
その喜びもつかの間、今度は「双極性障害」、いわゆる「躁うつ病」が安部さんを襲う。
元うつウーマンは精神科閉鎖病棟への入院を決意。
イメージが先行している「精神科病棟」。
その生活の実態、患者との交流を内部から描く。
安部結貴さんの作品の感想は、カテゴリからご覧ください。
◎内容
あらすじでも書きましたが、
精神科病棟での入院生活を描いたコミックエッセイです。
内容は重く暗いものですが、大葉リビさんのコミカルなタッチで読みやすい。
精神科病棟には
「開放病棟」(日中出入り自由)
「閉鎖病棟」(自由な出入り不可、面会も医師が許可した人だけ)
の2種類があるそうです。
安部さんが選んだのは、「閉鎖病棟」。
「開放」も選べたのに、なぜ?
外には出られないけれど、それは外からも入ってこられないということ。
何でもいいから、誰かに守られていたかった。
食と住はもちろん、現在も未来も。(44p)
絶え間ない不安と恐怖に襲われる中で、
「見舞い」と称してドスドス踏み込んでこられてはたまらない。
拘束・監視はされるけれども、そんな侵入から患者を守ってくれる。
「閉鎖病棟」とは、そういう場所だそうです。
「閉鎖」にいようが「開放」にいようが、精神科は精神科。
それならばいっそ、思いっきり精神科入院ライフを満喫しようじゃないか。(44p)
さすがフリーライター、自分の名前で食ってる人は覚悟が違う。
◎印象的なくだり
病棟に持って入れない物
紐、耳かき、爪切り、はさみ、携帯電話、PC、など。
自殺や他傷できる道具や、外と接触できるツールはダメ、ということですね。
男性はひげそりはどうするかというと、
男性ナースの立会いのもとでのみ使用できるそうです。
食事は共通のフロア
先輩患者と、意外と普通に話しながら食事できたらしい。
病棟内でのタブー
人を助けてはいけない、物の貸し借りしてはいけない、物をあげてはいけない。
理由は明記されてませんが、トラブルになりやすいからかな。
OT(精神作業療法)
塗り絵やクロスワードパズルの他、
外でカラオケなどもあるとか。
保護室
主に警察沙汰を起こし、強制措置入院させられた人が入る場所。個室。
食事は刑務所のように、扉の窓から。
暴れる恐れのある人は、拘束具が使用される
(デスノートでミサが縛られたようなやつ?)。
栄養は点滴、尿はカテーテル、そしておむつ。
問題行動を起こさないようになれば、閉鎖病棟へ移されるのだとか。
医療ソーシャルワーカー
医師、看護師とは違う、患者を援助する役割の人。
中立の立場なので、相談しやすいらしい。
◎「普通」「まとも」と「異常」「おかしい」
最後の章には、様々な理由で閉鎖病棟入りした人々が登場する。
それを見るにつけ、
「普通」「まとも」って何?
「異常」「おかしい」って何?
と考える。
考えても何も浮かばないけどね。
例えば、元・銀座高級クラブのママだったお婆さん。
親戚にだまされ、お店とお金を失って体と心を病んだという。
だましてのうのうと暮らしている(かもしれない)親戚は、
「まとも」なのだろうか?
お金を持ち、日常生活ができるというだけで?
また、ある日の面会者の男性の話。
突然、その男性の携帯電話が鳴り始めた。
殺気立つ患者。
しかし、その男性は平然と電話に出てしゃべり始め、隣の妻らしき女性もそれを止めない。
看護師が止めたから良かったものの、
もしかすると敏感な患者が暴れ出していたかもしれない、という。
敏感でなくても、携帯を取り上げられている患者にとって癇に障る行為である。
この、配慮もできない無神経な中年男は「まとも」だろうか?
「脳も内蔵のひとつ」とは、ある医師がいった言葉。
だから「心の病」なんてあやふやなものは存在しない。
そして、「内臓」を患った人は、悪人ではない。
それどころか、脳の病気は人から理解されにくいので、
ひとり悩んで、みな、自責の念にかられていた。
まさに「精神病ですみません」。(116p)
骨折や出血と同じように、体の一部がダメージを受けているだけ。
それを治そうと、本人なりに努力している。さらに自分を責めてもいる。
でも、世間は「病んだ人」を敬遠するし、
マスコミは「犯罪者=異常者→精神障害者」扱いする。
そんな世間には、
他人のお金を奪ってゼイタクな暮らしをしたり、
マナーモードすら知らない「まとも」な人たちがいるわけで。
相手を知らないと寛容になれない。
寛容になれないと、団体生活がうまくいかない。
団体生活ができないと、社会で幸せになれない。
私がいうのも何だけれど、
そのことを、最近の人々は忘れているような気がする。(118p)
理解や歩み寄り、寄り添うこと。
大事だなと、改めて思いました。
例えば、電車でたまにブツブツ言ったり車掌のマネする人は不気味だけど、
小さい子がやってると思えば、可愛いもんじゃないか?
難しいけどね。
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