2022,10,10, Monday
子どもが24週4日で生まれたので、
これから日記をつけていこうと思う。
37週-42週で生まれた子よりも色々なリスクがある。
日記がたった1週間で終わるか、
100日で終わるか、
1年やって私が飽きるかはわからない。
ただ、何日でも子どもがどう生きたかを残しておきたい。
まず、初日。
時系列順に、起こったことを書く。
■10/10(月・祝) 0日目
9:12
妻からLINEで「生まれそう」と連絡
9:30
大学病院到着
9:35
体温などを書類に記入し、分娩室前で待機
9:40
義母から電話
「病院に行った方がいいのか」と訊かれたので
「呼ばれてないなら来ない方がいい。
状況は逐一伝える」と返す
実母には、今日の夜に話すつもり
10:30
主治医から説明
手術はまだ
子宮口が開いて赤ちゃんは出てきそうだが、
陣痛は始まってない
幸い、時間に余裕があるので、
産婦人科・新生児科・麻酔科? のスタッフが
揃って準備を整えている
手術後は夫の入院手続きが必要
11:15
帝王切開前の麻酔開始直前に、妻と会う
しゃべる時間はなかったので、手を握って励ました、つもり
立ち会いはできず、待合室で1-2時間待つことに
妻は麻酔科の先生から麻酔のリスクを説明されてるところで、
ごくまれに麻酔の影響で死ぬこともあるらしい
(これに限らず、病院は処置の事前にあらゆるリスクを話す)
そう言われても、
もうこちらとしては先生がたに全てを託すほかないのである
12:25
麻酔完了
これから帝王切開
開始30分で終わるだろう、との事
待合室にもう1人、妊婦さんの夫もしくは父親と思しき男性がいたのだが、
しょっちゅうスマホをいじる私と比べて静かに座るか読書しており、
腹が据わっているなと感じいった次第
待ってる間、新生児集中治療部に
冷凍した母乳をもってくる母親や夫婦がおり、
自分たちも何日かおきにする事になるな、と思った
むろん、赤ちゃんが生き延びればの話だが
1時間経ってもスタッフさんから呼ばれず
再三書いているように、
私は最悪のケースを考える性格なので、
これはアクシデントあったな、
赤ちゃんは水子供養せなあかんかな……
妻が死んだら、妻は友人や職場仲間が多いのだが、
このご時世なので家族葬で内々に……
ということを考えていた
13:35
看護師さんから「生まれた」と連絡あり
対面はまだで、まずは赤ちゃんの入院手続き
生まれたのは12:41
(これは、後から保育器に書かれた日時で知った)
13:50
入院手続き中
このデジタルの時代に、同じ電話番号と住所を何回も書く
これは序の口で、夕方にあと10回書くことになる
それにしても、
和暦と西暦の混合は何とかならないものか
14:20
術後の妻と会う
移動式のベッドに寝た状態だが、
手を動かしたり会話できるくらいには元気
産婦人科の先生が言うには、
麻酔を一度やり直したために、
普段より時間がかかった、との事
赤ちゃんにはまだ会えず
この後、新生児科の先生から説明がある予定
14:30
妻から赤ちゃんの写真がLINEで送られる
生まれてから泣いたらしい
それだけの元気はあったわけで、
あとは本人の生きる力と病院の医療に賭けるしかない
15:30
新生児科の先生からの話は、あと1時間後、と連絡あり
おそらく、蘇生処置を行なってくださっている
妻には「大丈夫」とLINEしたものの、
内心は不安しかなかった
22週や23週の早産児よりは生存率は高い
しかし100%ではない
病院も、このへん目処がついてから
入院手続きさせればいいと思うのだが
「おめでとうございます」と書類は渡されたが、
その日のうちに「お悔やみ申し上げます」って言われたら、
ぬか喜び以外の何者でもない
ひとまず、時間の余裕ができたので、
公園で売店のおにぎりを食べる
何組かの親子が遊んでおり、
うちの子はあそこまで元気に育つかどうか、
はなはだ自信がなかった
16:30
新生児科の先生から、今後の子どもについてレクチャー
本日、間違いなく私にとって一番の難所で、
早産だと体のいたるところに合併症のリスクがある、というのを
延々と説明を受ける
一番の問題は肺
妻が切迫早産で入院した日に破水し、
羊水がほぼなくなっている
胎児は羊水を飲むことで肺が発達するものらしく
今の子どもは自力で呼吸ができない
合併症の説明が終わると、
今度は起こりうる症状に対する薬や輸血、
それに対する副作用やリスクの説明がある
たくさんの書類に署名しなければならない
子どもの生き延びるためとはいえ、
薬づけだし、リスクだらけだし、
この時点で若干泣きそうになる
もちろん、病院はあらゆるケースを事前に説明する責任を果たしているだけで、
説明されたリスクすべてが発生するわけではないのだが
記入が終わると、GCUで子どもと対面
保育器ごしで、もちろん触っていない
体重わずか600g
へそから点滴を受け、
鼻から管を通している子どもを見ると、
ただただ、丈夫な体をあげられず申し訳なかった
この子に将来ってあるのだろうかと、
かなり泣きそうになった
高年齢で夫婦を持とうとしたせいで、
子どもにこんなしんどい思いをさせてしまったのか
親のエゴで苦しめているのか……
でも、そんな中でも手足を時々動かして
懸命に生きようとしているのは伝わってきた
17:30
私の母に電話で連絡
19:00
妻の実家に顔を出し、
今日のことを報告
20週4日で破水したことを考えれば、
ひとまず無事に生まれてきたことを喜ぼうと、
そんな話をする
21:00
帰宅
長い1日だった
今後を考えると不安しかない
呼吸器の手放せない人生になるかもしれないし、
学校でバカにされて、
「どうしてこんな体で産んだんだ」と責められる日が来るかもしれない
それはまだマシな方で、
意思表示もできない寝たきり人生かもしれない
ただ、流産を乗り越えて生まれてきたのも事実なわけで、
今はその生命力と医療に賭けるしかない
父親として、1日1日やるべきことをやっていこうと思う
■追伸
記事のコメント欄は閉じていますが、
他の記事から励ましのコメント等はご無用に願います。
これから日記をつけていこうと思う。
37週-42週で生まれた子よりも色々なリスクがある。
日記がたった1週間で終わるか、
100日で終わるか、
1年やって私が飽きるかはわからない。
ただ、何日でも子どもがどう生きたかを残しておきたい。
まず、初日。
時系列順に、起こったことを書く。
■10/10(月・祝) 0日目
9:12
妻からLINEで「生まれそう」と連絡
9:30
大学病院到着
9:35
体温などを書類に記入し、分娩室前で待機
9:40
義母から電話
「病院に行った方がいいのか」と訊かれたので
「呼ばれてないなら来ない方がいい。
状況は逐一伝える」と返す
実母には、今日の夜に話すつもり
10:30
主治医から説明
手術はまだ
子宮口が開いて赤ちゃんは出てきそうだが、
陣痛は始まってない
幸い、時間に余裕があるので、
産婦人科・新生児科・麻酔科? のスタッフが
揃って準備を整えている
手術後は夫の入院手続きが必要
11:15
帝王切開前の麻酔開始直前に、妻と会う
しゃべる時間はなかったので、手を握って励ました、つもり
立ち会いはできず、待合室で1-2時間待つことに
妻は麻酔科の先生から麻酔のリスクを説明されてるところで、
ごくまれに麻酔の影響で死ぬこともあるらしい
(これに限らず、病院は処置の事前にあらゆるリスクを話す)
そう言われても、
もうこちらとしては先生がたに全てを託すほかないのである
12:25
麻酔完了
これから帝王切開
開始30分で終わるだろう、との事
待合室にもう1人、妊婦さんの夫もしくは父親と思しき男性がいたのだが、
しょっちゅうスマホをいじる私と比べて静かに座るか読書しており、
腹が据わっているなと感じいった次第
待ってる間、新生児集中治療部に
冷凍した母乳をもってくる母親や夫婦がおり、
自分たちも何日かおきにする事になるな、と思った
むろん、赤ちゃんが生き延びればの話だが
1時間経ってもスタッフさんから呼ばれず
再三書いているように、
私は最悪のケースを考える性格なので、
これはアクシデントあったな、
赤ちゃんは水子供養せなあかんかな……
妻が死んだら、妻は友人や職場仲間が多いのだが、
このご時世なので家族葬で内々に……
ということを考えていた
13:35
看護師さんから「生まれた」と連絡あり
対面はまだで、まずは赤ちゃんの入院手続き
生まれたのは12:41
(これは、後から保育器に書かれた日時で知った)
13:50
入院手続き中
このデジタルの時代に、同じ電話番号と住所を何回も書く
これは序の口で、夕方にあと10回書くことになる
それにしても、
和暦と西暦の混合は何とかならないものか
14:20
術後の妻と会う
移動式のベッドに寝た状態だが、
手を動かしたり会話できるくらいには元気
産婦人科の先生が言うには、
麻酔を一度やり直したために、
普段より時間がかかった、との事
赤ちゃんにはまだ会えず
この後、新生児科の先生から説明がある予定
14:30
妻から赤ちゃんの写真がLINEで送られる
生まれてから泣いたらしい
それだけの元気はあったわけで、
あとは本人の生きる力と病院の医療に賭けるしかない
15:30
新生児科の先生からの話は、あと1時間後、と連絡あり
おそらく、蘇生処置を行なってくださっている
妻には「大丈夫」とLINEしたものの、
内心は不安しかなかった
22週や23週の早産児よりは生存率は高い
しかし100%ではない
病院も、このへん目処がついてから
入院手続きさせればいいと思うのだが
「おめでとうございます」と書類は渡されたが、
その日のうちに「お悔やみ申し上げます」って言われたら、
ぬか喜び以外の何者でもない
ひとまず、時間の余裕ができたので、
公園で売店のおにぎりを食べる
何組かの親子が遊んでおり、
うちの子はあそこまで元気に育つかどうか、
はなはだ自信がなかった
16:30
新生児科の先生から、今後の子どもについてレクチャー
本日、間違いなく私にとって一番の難所で、
早産だと体のいたるところに合併症のリスクがある、というのを
延々と説明を受ける
一番の問題は肺
妻が切迫早産で入院した日に破水し、
羊水がほぼなくなっている
胎児は羊水を飲むことで肺が発達するものらしく
今の子どもは自力で呼吸ができない
合併症の説明が終わると、
今度は起こりうる症状に対する薬や輸血、
それに対する副作用やリスクの説明がある
たくさんの書類に署名しなければならない
子どもの生き延びるためとはいえ、
薬づけだし、リスクだらけだし、
この時点で若干泣きそうになる
もちろん、病院はあらゆるケースを事前に説明する責任を果たしているだけで、
説明されたリスクすべてが発生するわけではないのだが
記入が終わると、GCUで子どもと対面
保育器ごしで、もちろん触っていない
体重わずか600g
へそから点滴を受け、
鼻から管を通している子どもを見ると、
ただただ、丈夫な体をあげられず申し訳なかった
この子に将来ってあるのだろうかと、
かなり泣きそうになった
高年齢で夫婦を持とうとしたせいで、
子どもにこんなしんどい思いをさせてしまったのか
親のエゴで苦しめているのか……
でも、そんな中でも手足を時々動かして
懸命に生きようとしているのは伝わってきた
17:30
私の母に電話で連絡
19:00
妻の実家に顔を出し、
今日のことを報告
20週4日で破水したことを考えれば、
ひとまず無事に生まれてきたことを喜ぼうと、
そんな話をする
21:00
帰宅
長い1日だった
今後を考えると不安しかない
呼吸器の手放せない人生になるかもしれないし、
学校でバカにされて、
「どうしてこんな体で産んだんだ」と責められる日が来るかもしれない
それはまだマシな方で、
意思表示もできない寝たきり人生かもしれない
ただ、流産を乗り越えて生まれてきたのも事実なわけで、
今はその生命力と医療に賭けるしかない
父親として、1日1日やるべきことをやっていこうと思う
■追伸
記事のコメント欄は閉じていますが、
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