2015,07,18, Saturday
2005年10月、中央公論新社発行。
有名な中国の古典を訳したものです。
老子 (中公クラシックス)
訳本は色々出てると思いますが、自分はこの本が気に入りました。
理由。
1.漢文、書き下し文、現代語訳を並べて書いてある
原典あっての現代語訳なので、三者はセットにしてほしい。
2.注釈、解説が豊富
諸説がある場合、併記している。訳者のフェアさを感じる。
本屋には他にも「自由訳」であるとか、
訳者がかなり自分の解釈を加えているものもあります。
それは悪いとは言いませんが、最初に触れる「老子」としては良くないかな、と思う。
◎目次
中国文化・『老子』・研究 高木智見
老子 上篇(第一章~第三十七章)
老子 下篇(第三十八章~第八十一章)
冒頭の『老子』研究は、読み飛ばしてもいい。
「老子」がどのように成立し、学者によって研究されてきたか、を説いている。
ただ、「老子」そのものを味わうのに必須ではない。
高木氏自身が書いているように、
予備知識は必ずしも洞察力につながるとは限らず、
逆に先入観として誤った結論を導く危険性すらある。(『老子』研究 47p)
との事なので、無視して本編に進んでも全く構わない。
そもそも、「老子」の作者とされる「李耳」という人物すら、
実在がさだかでない人物なのだし……。
以下、印象的な一節をいくつか紹介します。
◎第二章
天下皆知美之為美、斯悪已、皆知善之為善、斯不善已、
天下、皆、美の美為(た)ることを知る、斯(これ)、悪(あく)なる已(のみ)。
皆、善の善為ることを知る、斯、不善なる已。
天下すべての人がみな、美を美として認めること。
そこから醜さ(の観念)が出てくる。
(同様に)善を善として認めること、そこから不善(の観念)が出てくるのだ。
ある概念を決めると、対立する概念が生まれる、という話。
第二章の後半では、「聖人はこういった概念にとらわれない」
という意味のことが書いてあると思うのですが、難しくてよくわかりません。
◎第五章
多言数窮、不如守中、
多言なれば数(しばしば)窮まる。中を守るに如かず。
口数が多ければ、しばしば(ことばの威力は)使いはたされる。
(心の)なかにじっと保っておくにこしたことはない。
孔子も、論語で似たようなことを言ってたような気がする。
「巧言令色、鮮なし仁。剛毅木訥、仁に近し。」かな。
◎第九章
持而盈之、不如其已、揣而鋭之、不可長保、
持して之を盈(み)たすは、其(そ)の已(や)めんに如かず。
揣して之を鋭くするは、長く保つ可(べ)からず。
器を手にもって、いっぱいにしたままでおくのは、やめたほうがいい。
剣の刃に焼きを入れて鋭くしても、いつまでもそのまま鈍らないわけはない。
一旦栄えても、いつかは衰え滅びるという例え。
惜しまれるうちに身を引きなさい、ということか。
◎第十九章
絶巧棄利、盗賊無有、
巧を絶ち利を棄てよ、盗賊有ること無けん。
技術をなくし、利益を捨てよ。(そうすれば)盗人どもはいなくなるであろう。
例えば、ネットというのは便利で色々な恩恵をもたらしたけれど、
数えきれないほどの新種の犯罪も産んだわけです。
「老子」の作者が生きていた戦国時代から、
すでに財貨と欲望は目に余るものがあったのでしょうか。
◎第三十六章
将欲歙之、必固張之、将欲弱之、必固強之、将欲廃之、必固興之、将欲奪之、必固与之、
将(まさ)に之を歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を張る。
将に之を弱めんと欲すれば、必ず固く之を強くす。
将に之を廃せんと欲すれば、必ず固く之を興(おこ)す。
将に之を奪わんと欲すれば、必ず固く之に与う。
(なにかを)縮めさせようと思えば、まず張りつめさせておかねばならない。
弱めようと思えば、まず強めておかねばならない。
衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかねばならない。
奪い取ろうと思えば、まず与えておかなければならない。
深い、深いなァと思う。
処世術のようでもあるし、国家の駆け引きを説いているようでもある。
またスポーツの「力み」と「解放」につながるような気もする。
◎第四十八章
無為而無不為
為(な)す無くして而(しか)も為さざるは無し。
何もしないことによってこそ、すべてのことがなされる。
「無為」というフレーズは何度も出てくるが、
これは文字通り何もせずゴロゴロする、というのではないそうで。
自然や道理の流れ・自身の本性に従い、
それに逆らうような余計なことをしない、という意味らしい。
柿は熟して落ちるのを待てばいいってこと? 難しいです。
◎第六十章
治大国、若烹小鮮、
大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが若(ごと)し。
大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るのに似ている。
(小魚を煮るときつつきまわしてはいけないのと同じく、あれこれと指図してはいけない)
政治ばかりでなく、対人にも言えますね。
誰かに何かを伝える時は、内容をシンプルに。
そういえばプロスポーツで、
「将来有望な若い選手を、コーチが色々いじってダメにした」
なんて話をちょくちょく聞くが、これもそのたぐいか。
◎第七十六章
兵強則不勝、木強則折、強大処下、柔弱処上、
兵は強ければ則(すなわ)ち勝たず、木は強ければ則ち折れる。
強大なるは下に処(お)り、柔弱なるは上に処る。
武器があまりに強ければ勝つことはできないし、固い木は折れる。
強くて大きなものは下にあり、柔らかで弱いものが高いところにある。
頑丈な木は時にはもろく、強風であっさり折れてしまう。
しかし、細い草は風をも受け流す。
ストレスへの対処法を説いているように思える。
どうしようもないことに対しては、
「だって、どうしようもないんだもの。仕方ないじゃん」と開き直る、というか。
でも、戦国時代にもストレスってあったのだろうか。
有名な中国の古典を訳したものです。
老子 (中公クラシックス)
訳本は色々出てると思いますが、自分はこの本が気に入りました。
理由。
1.漢文、書き下し文、現代語訳を並べて書いてある
原典あっての現代語訳なので、三者はセットにしてほしい。
2.注釈、解説が豊富
諸説がある場合、併記している。訳者のフェアさを感じる。
本屋には他にも「自由訳」であるとか、
訳者がかなり自分の解釈を加えているものもあります。
それは悪いとは言いませんが、最初に触れる「老子」としては良くないかな、と思う。
◎目次
中国文化・『老子』・研究 高木智見
老子 上篇(第一章~第三十七章)
老子 下篇(第三十八章~第八十一章)
冒頭の『老子』研究は、読み飛ばしてもいい。
「老子」がどのように成立し、学者によって研究されてきたか、を説いている。
ただ、「老子」そのものを味わうのに必須ではない。
高木氏自身が書いているように、
予備知識は必ずしも洞察力につながるとは限らず、
逆に先入観として誤った結論を導く危険性すらある。(『老子』研究 47p)
との事なので、無視して本編に進んでも全く構わない。
そもそも、「老子」の作者とされる「李耳」という人物すら、
実在がさだかでない人物なのだし……。
以下、印象的な一節をいくつか紹介します。
◎第二章
天下皆知美之為美、斯悪已、皆知善之為善、斯不善已、
天下、皆、美の美為(た)ることを知る、斯(これ)、悪(あく)なる已(のみ)。
皆、善の善為ることを知る、斯、不善なる已。
天下すべての人がみな、美を美として認めること。
そこから醜さ(の観念)が出てくる。
(同様に)善を善として認めること、そこから不善(の観念)が出てくるのだ。
ある概念を決めると、対立する概念が生まれる、という話。
第二章の後半では、「聖人はこういった概念にとらわれない」
という意味のことが書いてあると思うのですが、難しくてよくわかりません。
◎第五章
多言数窮、不如守中、
多言なれば数(しばしば)窮まる。中を守るに如かず。
口数が多ければ、しばしば(ことばの威力は)使いはたされる。
(心の)なかにじっと保っておくにこしたことはない。
孔子も、論語で似たようなことを言ってたような気がする。
「巧言令色、鮮なし仁。剛毅木訥、仁に近し。」かな。
◎第九章
持而盈之、不如其已、揣而鋭之、不可長保、
持して之を盈(み)たすは、其(そ)の已(や)めんに如かず。
揣して之を鋭くするは、長く保つ可(べ)からず。
器を手にもって、いっぱいにしたままでおくのは、やめたほうがいい。
剣の刃に焼きを入れて鋭くしても、いつまでもそのまま鈍らないわけはない。
一旦栄えても、いつかは衰え滅びるという例え。
惜しまれるうちに身を引きなさい、ということか。
◎第十九章
絶巧棄利、盗賊無有、
巧を絶ち利を棄てよ、盗賊有ること無けん。
技術をなくし、利益を捨てよ。(そうすれば)盗人どもはいなくなるであろう。
例えば、ネットというのは便利で色々な恩恵をもたらしたけれど、
数えきれないほどの新種の犯罪も産んだわけです。
「老子」の作者が生きていた戦国時代から、
すでに財貨と欲望は目に余るものがあったのでしょうか。
◎第三十六章
将欲歙之、必固張之、将欲弱之、必固強之、将欲廃之、必固興之、将欲奪之、必固与之、
将(まさ)に之を歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を張る。
将に之を弱めんと欲すれば、必ず固く之を強くす。
将に之を廃せんと欲すれば、必ず固く之を興(おこ)す。
将に之を奪わんと欲すれば、必ず固く之に与う。
(なにかを)縮めさせようと思えば、まず張りつめさせておかねばならない。
弱めようと思えば、まず強めておかねばならない。
衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかねばならない。
奪い取ろうと思えば、まず与えておかなければならない。
深い、深いなァと思う。
処世術のようでもあるし、国家の駆け引きを説いているようでもある。
またスポーツの「力み」と「解放」につながるような気もする。
◎第四十八章
無為而無不為
為(な)す無くして而(しか)も為さざるは無し。
何もしないことによってこそ、すべてのことがなされる。
「無為」というフレーズは何度も出てくるが、
これは文字通り何もせずゴロゴロする、というのではないそうで。
自然や道理の流れ・自身の本性に従い、
それに逆らうような余計なことをしない、という意味らしい。
柿は熟して落ちるのを待てばいいってこと? 難しいです。
◎第六十章
治大国、若烹小鮮、
大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが若(ごと)し。
大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るのに似ている。
(小魚を煮るときつつきまわしてはいけないのと同じく、あれこれと指図してはいけない)
政治ばかりでなく、対人にも言えますね。
誰かに何かを伝える時は、内容をシンプルに。
そういえばプロスポーツで、
「将来有望な若い選手を、コーチが色々いじってダメにした」
なんて話をちょくちょく聞くが、これもそのたぐいか。
◎第七十六章
兵強則不勝、木強則折、強大処下、柔弱処上、
兵は強ければ則(すなわ)ち勝たず、木は強ければ則ち折れる。
強大なるは下に処(お)り、柔弱なるは上に処る。
武器があまりに強ければ勝つことはできないし、固い木は折れる。
強くて大きなものは下にあり、柔らかで弱いものが高いところにある。
頑丈な木は時にはもろく、強風であっさり折れてしまう。
しかし、細い草は風をも受け流す。
ストレスへの対処法を説いているように思える。
どうしようもないことに対しては、
「だって、どうしようもないんだもの。仕方ないじゃん」と開き直る、というか。
でも、戦国時代にもストレスってあったのだろうか。
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