2015,05,21, Thursday
総社市にある鬼ノ城(きのじょう)に行ってきました。
吉備高原の南端に築かれた、古代の山城です。
諸事情で車がつかえないので、自転車+徒歩で。
体力がある方はチャレンジしても良いですが、基本的には自家用車で行くところです。
◎ルート
JR総社駅
↓
(荒木レンタサイクル 約20~30分)
↓
砂川公園
↓
(徒歩 約1時間)
↓
鬼ノ城
◎荒木レンタサイクル
JR総社駅西口そばにある、自転車レンタル屋。
自転車を預かるサービスもしている。
老夫婦とその娘さん?がやっている。
おばあさんは耳が遠いが、サービス精神旺盛。
行きたい場所を言えば、最適なルートを教えてくれます。
レンタル料は2時間400円。1時間延長するごとに+200円。
一日レンタルは1000円。
おばあさんのくれたマップの一部(クリックで拡大)。
赤いマーカーで引いた線が、砂川公園までのルート。
◎JR総社駅→砂川公園
砂川公園とは、鬼ノ城から流れる砂川周辺に作られた自然公園。
キャンプ場やウォータースライダーがあり、親子連れに人気。
まずはここを目指す。
最初に総社の天満屋ハピータウンに寄って、買い物しておきたい。
理由。砂川公園・鬼ノ城には自動販売機も売店もないから。
昼飯がまだなら、SAINT ETOILE(ベーカリー)かモスバーガーで。
天満屋は、周囲のビルよりも高く「天」の看板があるので、目指しやすい。
天満屋を出たら、駅と逆方法へ進む。
総社小学校のある交差点で左折。
あとは、民家ばかりの一般道を道になりに進む。
最初の標識で右折。
⇒中央拡大
2番目の標識は直進。
3番目の標識で左折。
写真のような案内板をちゃんと見ていれば、そんなに迷わない。
◎砂川公園→鬼ノ城
公園に自転車を停め、それ以降は徒歩で鬼ノ城へ向かう。
自転車で鬼ノ城まで行くのは可能ですが、急勾配で相当体力を使う。
マウンテンバイクやロードバイクならともかく、ママチャリタイプのレンタサイクルでは無理がある。
右の建物が、砂川公園管理事務所。
行ったときは、おじさん2人が暇そうにだべっていた。
公園には第1~第7駐車場がある。
一番奥、鬼ノ城に最も近い第7駐車場がおすすめ。
車の邪魔にならないよう、片隅に停めればOK。
鬼ノ城までの道は舗装されてますが、基本登りなので体力を使う。
道幅はほぼ一車線。
観光客の車は時々通るので、注意しながら歩くこと。
夏場は日差しにもご用心。眺めは最高だけど。
鬼ノ城までは約3km、およそ1時間かかる。
脇道は無視し、舗装された道路をひたすら歩けばOK。
案内板も要所に置かれてるので、迷う心配はありません。
ときどき「経山城跡」と書かれた案内板があるが、鬼ノ城とは別物らしい。
総社市の観光案内にも記載がなく、非常にマイナーな城跡なのかも。
左の案内板が見えたら、あと一息。
ちなみに、このへんになると携帯の通信は怪しくなる。
ソフトバンクの3G回線だと不安定。
◎鬼ノ城
到着したら、「鬼城山ビジターセンター」で休憩しましょう。
トイレ・休憩所と、鬼ノ城に関する資料の展示室があります。無料。
※「鬼ノ城」という看板の右に、ビジターセンター有
自動販売機はありません。
飲料水のサーバーはありますが、1人で飲みすぎないように、と警告があります。
展示室には鬼ノ城の歴史的な解説、全景のミニチュアなどがあるので、
歴史好きな方にはおすすめです。
管理人らしきおじさんが1人いますが、
いるだけでガイドなどはしてくれません。
ソフトバンクは、この時点で圏外。
◎鬼ノ城 西門
鬼ノ城は外周約2.8kmあり、施設全てを回ろうと思うと相当しんどいです。
ここまで徒歩で消耗したので、西門とその周りだけ見て帰ることにしました。
飛鳥時代か、それよりも前に築かれたといわれる鬼ノ城。
天守閣のような城ではなく、要塞に近いです。
ところどころに石垣や水門跡が残るのみですが、
西門と角楼(城の死角を防ぐ場所)は当時の姿を復元しています。
どちらもビジターセンターから近く、遊歩道も整備されています。
車は完全に使えなくなります。
西門遠景。
鬼ノ城の由来は二説ある。
[1]白村江の海戦(663年)に敗れた大和朝廷が、
唐・新羅の攻撃に備えて西日本各地に作った拠点の1つ
[2][1]よりも前か後、吉備(現在の岡山県)の独自の勢力が、大和朝廷との戦いのために作った
結論はまだ出ていないそうで、そのへんも歴史好きのロマンをかきたてるのかもしれない。
[1]のような古代山城は、朝鮮式山城と呼ぶ。百済から亡命してきた技術者の力を借りたから。
[2]のような由来のはっきりしない古代山城は、神籠石系(こうごいしけい)山城と呼ぶ。
ちなみに、[2]の吉備の支配者として有名なのが、温羅(うら)と呼ばれる伝説上の鬼。
鬼ノ城を拠点に、朝廷から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)と戦うが、
最後は討ち取られてしまう。
総社市の観光案内より、温羅(左)と吉備津彦命(右)。
吉備津彦命は弓矢で戦ったが、温羅は大岩を投げて勝負がつかない。
そこで吉備津彦命は二矢を同時に射った。絵で二本の矢をつがえているのはそのため。
鬼とはいえ、温羅は中央の支配に対抗した英雄でもあり、吉備冠者(きびのかじゃ)という別名もある。
恐れられた、というより地元には愛されていると思う。
その名前は今でも「うらじゃ祭り」という夏のお祭りに残っているし、
二人の戦いは桃太郎伝説に形を変えて語り継がれている。
内側から見た正門と、その周辺の城壁。
ここを守っていたのが誰かも気になるところだが、
その前に「メシや水はどうしたの?」というのが一番の疑問。
現代でも、ふもとからたどり着くまで一苦労なのに、昔はどうやって運んでいたのか。
それとも城の中で自給自足する仕組みがあったのか。
ビジターセンターの展示によると、排水の設備、鍛冶の工房、食料倉庫などが確認できるらしい。
小さな都市に近かったのかもしれない。
◎まとめ
鬼ノ城は、天守閣があるような立派な城ではないですが、
古代の歴史を感じさせる山城です。
興味がある方は、車で来てみると良いでしょう。
眺めもいいですしね。
お子さん連れだったら、帰りに砂川公園でバーベキューとかいいと思いますね。
できるかどうか知りませんが……。
吉備高原の南端に築かれた、古代の山城です。
諸事情で車がつかえないので、自転車+徒歩で。
体力がある方はチャレンジしても良いですが、基本的には自家用車で行くところです。
◎ルート
JR総社駅
↓
(荒木レンタサイクル 約20~30分)
↓
砂川公園
↓
(徒歩 約1時間)
↓
鬼ノ城
◎荒木レンタサイクル
JR総社駅西口そばにある、自転車レンタル屋。
自転車を預かるサービスもしている。
老夫婦とその娘さん?がやっている。
おばあさんは耳が遠いが、サービス精神旺盛。
行きたい場所を言えば、最適なルートを教えてくれます。
レンタル料は2時間400円。1時間延長するごとに+200円。
一日レンタルは1000円。
おばあさんのくれたマップの一部(クリックで拡大)。
赤いマーカーで引いた線が、砂川公園までのルート。
◎JR総社駅→砂川公園
砂川公園とは、鬼ノ城から流れる砂川周辺に作られた自然公園。
キャンプ場やウォータースライダーがあり、親子連れに人気。
まずはここを目指す。
最初に総社の天満屋ハピータウンに寄って、買い物しておきたい。
理由。砂川公園・鬼ノ城には自動販売機も売店もないから。
昼飯がまだなら、SAINT ETOILE(ベーカリー)かモスバーガーで。
天満屋は、周囲のビルよりも高く「天」の看板があるので、目指しやすい。
天満屋を出たら、駅と逆方法へ進む。
総社小学校のある交差点で左折。
あとは、民家ばかりの一般道を道になりに進む。
最初の標識で右折。
⇒中央拡大
2番目の標識は直進。
3番目の標識で左折。
写真のような案内板をちゃんと見ていれば、そんなに迷わない。
◎砂川公園→鬼ノ城
公園に自転車を停め、それ以降は徒歩で鬼ノ城へ向かう。
自転車で鬼ノ城まで行くのは可能ですが、急勾配で相当体力を使う。
マウンテンバイクやロードバイクならともかく、ママチャリタイプのレンタサイクルでは無理がある。
右の建物が、砂川公園管理事務所。
行ったときは、おじさん2人が暇そうにだべっていた。
公園には第1~第7駐車場がある。
一番奥、鬼ノ城に最も近い第7駐車場がおすすめ。
車の邪魔にならないよう、片隅に停めればOK。
鬼ノ城までの道は舗装されてますが、基本登りなので体力を使う。
道幅はほぼ一車線。
観光客の車は時々通るので、注意しながら歩くこと。
夏場は日差しにもご用心。眺めは最高だけど。
鬼ノ城までは約3km、およそ1時間かかる。
脇道は無視し、舗装された道路をひたすら歩けばOK。
案内板も要所に置かれてるので、迷う心配はありません。
ときどき「経山城跡」と書かれた案内板があるが、鬼ノ城とは別物らしい。
総社市の観光案内にも記載がなく、非常にマイナーな城跡なのかも。
左の案内板が見えたら、あと一息。
ちなみに、このへんになると携帯の通信は怪しくなる。
ソフトバンクの3G回線だと不安定。
◎鬼ノ城
到着したら、「鬼城山ビジターセンター」で休憩しましょう。
トイレ・休憩所と、鬼ノ城に関する資料の展示室があります。無料。
※「鬼ノ城」という看板の右に、ビジターセンター有
自動販売機はありません。
飲料水のサーバーはありますが、1人で飲みすぎないように、と警告があります。
展示室には鬼ノ城の歴史的な解説、全景のミニチュアなどがあるので、
歴史好きな方にはおすすめです。
管理人らしきおじさんが1人いますが、
いるだけでガイドなどはしてくれません。
ソフトバンクは、この時点で圏外。
◎鬼ノ城 西門
鬼ノ城は外周約2.8kmあり、施設全てを回ろうと思うと相当しんどいです。
ここまで徒歩で消耗したので、西門とその周りだけ見て帰ることにしました。
飛鳥時代か、それよりも前に築かれたといわれる鬼ノ城。
天守閣のような城ではなく、要塞に近いです。
ところどころに石垣や水門跡が残るのみですが、
西門と角楼(城の死角を防ぐ場所)は当時の姿を復元しています。
どちらもビジターセンターから近く、遊歩道も整備されています。
車は完全に使えなくなります。
西門遠景。
鬼ノ城の由来は二説ある。
[1]白村江の海戦(663年)に敗れた大和朝廷が、
唐・新羅の攻撃に備えて西日本各地に作った拠点の1つ
[2][1]よりも前か後、吉備(現在の岡山県)の独自の勢力が、大和朝廷との戦いのために作った
結論はまだ出ていないそうで、そのへんも歴史好きのロマンをかきたてるのかもしれない。
[1]のような古代山城は、朝鮮式山城と呼ぶ。百済から亡命してきた技術者の力を借りたから。
[2]のような由来のはっきりしない古代山城は、神籠石系(こうごいしけい)山城と呼ぶ。
ちなみに、[2]の吉備の支配者として有名なのが、温羅(うら)と呼ばれる伝説上の鬼。
鬼ノ城を拠点に、朝廷から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)と戦うが、
最後は討ち取られてしまう。
総社市の観光案内より、温羅(左)と吉備津彦命(右)。
吉備津彦命は弓矢で戦ったが、温羅は大岩を投げて勝負がつかない。
そこで吉備津彦命は二矢を同時に射った。絵で二本の矢をつがえているのはそのため。
鬼とはいえ、温羅は中央の支配に対抗した英雄でもあり、吉備冠者(きびのかじゃ)という別名もある。
恐れられた、というより地元には愛されていると思う。
その名前は今でも「うらじゃ祭り」という夏のお祭りに残っているし、
二人の戦いは桃太郎伝説に形を変えて語り継がれている。
内側から見た正門と、その周辺の城壁。
ここを守っていたのが誰かも気になるところだが、
その前に「メシや水はどうしたの?」というのが一番の疑問。
現代でも、ふもとからたどり着くまで一苦労なのに、昔はどうやって運んでいたのか。
それとも城の中で自給自足する仕組みがあったのか。
ビジターセンターの展示によると、排水の設備、鍛冶の工房、食料倉庫などが確認できるらしい。
小さな都市に近かったのかもしれない。
◎まとめ
鬼ノ城は、天守閣があるような立派な城ではないですが、
古代の歴史を感じさせる山城です。
興味がある方は、車で来てみると良いでしょう。
眺めもいいですしね。
お子さん連れだったら、帰りに砂川公園でバーベキューとかいいと思いますね。
できるかどうか知りませんが……。
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