2015,05,25, Monday
2010年8月、幻冬舎発行。画・細川貂々。
「ツレがうつになりまして。」の「ツレ」こと望月昭さんの子育てエッセイ。
挿絵は奥さん担当。
育児ばかりでスミマセン。
タイトルは、前著「こんなツレでゴメンナサイ。」(文藝春秋)とかけていると思われる。
細川貂々さん・望月昭さんご夫妻の関連作品の感想は、
カテゴリからご覧ください。
◎内容
元うつ、現専業主夫の子育て日記。
「Web Magazine 幻冬舎」(Vol192~221)の連載記事
「ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト」に加筆・修正したもの。
「ちーと君」こと、息子の千歳君の誕生から2歳頃までの出来事がまとめられている。
時期は2008年9月~2010年3月。
ツレさんがあとがきで振り返っているように、
父親も育児の第一責任者になれることを証明した、画期的な本なのではないかと思う。
しかも、2年前までうつを患っていた人でも(と書くと、偏見かなあ)。
奥さんは、出産後は画業に専念。
旦那さんが家事全般と育児をこなす。
子どもも、父親をファーストパーソン(一番大事な人)とみなし、なついてくれる。
むしろ、「父親メインの子育て」を認識してくれないのは世間の方で、
年配の女性の方から「できるわけがない」と言われた、というボヤキも書いてある。
その他、内容は多岐にわたる。
幼稚園と保育園の選択。
一歳六ヵ月での定期健診にて、「言語の獲得が遅い」と診断されたので、発達外来に通ったこと。
炭水化物しかとらない偏食ぶりに悩まされたこと。
文章量はかなり多く、ページ下部の補足も、
単なる雑学から、乳幼児のお子さんがいる親御さんに役立ちそうな情報まで、いろいろ。
ツレさんの凝り性ぶりがうかがえる。
何度か問題提起されているのが、
「今の日本で子育てはやりにくい」ということ。
昔のように、ご近所や親族の手を借りづらくなっている。
「好きでつくったのだから、2人でどうにかしろ」という風潮。
「結婚して子どもを持つなんて勝ち組のゼイタクだ」という敵愾心を感じるときさえある。
(中略)
ヘトヘトになってしまうことも多いのだが、
「そんなの好き勝手にやってることだろ」というような冷たい視線を感じるのである。
(205pより)
そういえば、ちょくちょく子どもの虐待死がニュースになるのだが、
これも当事者の夫婦をけしからんと責めれば済む話だろうか。
周囲や日々の生活の中で、親子をいたわり手をさしのべてあげれば、
行き詰まって事件にまでならなかったんじゃないだろうか。
なんて、三十路で独身の自分が言っても説得力はないが。
みんな、誰かの手をわずらわせて大きくなってきた。
多少のことは目をつぶろう。
せめて電車の中で泣き声がやかましくても、「大変ですねー」と笑おう。
そんなことを思いました。
◎表紙について
「あとがき」にもあるように、ラファエロ「小椅子の聖母」のパロディ。
ツレ⇒聖母マリア
ちーと君⇒幼子キリスト
貂々さん⇒少年の姿をした聖ヨハネ
という配役。母のポジションにツレさんがいるわけですね。
「ツレがうつになりまして。」の「ツレ」こと望月昭さんの子育てエッセイ。
挿絵は奥さん担当。
育児ばかりでスミマセン。
タイトルは、前著「こんなツレでゴメンナサイ。」(文藝春秋)とかけていると思われる。
細川貂々さん・望月昭さんご夫妻の関連作品の感想は、
カテゴリからご覧ください。
◎内容
元うつ、現専業主夫の子育て日記。
「Web Magazine 幻冬舎」(Vol192~221)の連載記事
「ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト」に加筆・修正したもの。
「ちーと君」こと、息子の千歳君の誕生から2歳頃までの出来事がまとめられている。
時期は2008年9月~2010年3月。
ツレさんがあとがきで振り返っているように、
父親も育児の第一責任者になれることを証明した、画期的な本なのではないかと思う。
しかも、2年前までうつを患っていた人でも(と書くと、偏見かなあ)。
奥さんは、出産後は画業に専念。
旦那さんが家事全般と育児をこなす。
子どもも、父親をファーストパーソン(一番大事な人)とみなし、なついてくれる。
むしろ、「父親メインの子育て」を認識してくれないのは世間の方で、
年配の女性の方から「できるわけがない」と言われた、というボヤキも書いてある。
その他、内容は多岐にわたる。
幼稚園と保育園の選択。
一歳六ヵ月での定期健診にて、「言語の獲得が遅い」と診断されたので、発達外来に通ったこと。
炭水化物しかとらない偏食ぶりに悩まされたこと。
文章量はかなり多く、ページ下部の補足も、
単なる雑学から、乳幼児のお子さんがいる親御さんに役立ちそうな情報まで、いろいろ。
ツレさんの凝り性ぶりがうかがえる。
何度か問題提起されているのが、
「今の日本で子育てはやりにくい」ということ。
昔のように、ご近所や親族の手を借りづらくなっている。
「好きでつくったのだから、2人でどうにかしろ」という風潮。
「結婚して子どもを持つなんて勝ち組のゼイタクだ」という敵愾心を感じるときさえある。
(中略)
ヘトヘトになってしまうことも多いのだが、
「そんなの好き勝手にやってることだろ」というような冷たい視線を感じるのである。
(205pより)
そういえば、ちょくちょく子どもの虐待死がニュースになるのだが、
これも当事者の夫婦をけしからんと責めれば済む話だろうか。
周囲や日々の生活の中で、親子をいたわり手をさしのべてあげれば、
行き詰まって事件にまでならなかったんじゃないだろうか。
なんて、三十路で独身の自分が言っても説得力はないが。
みんな、誰かの手をわずらわせて大きくなってきた。
多少のことは目をつぶろう。
せめて電車の中で泣き声がやかましくても、「大変ですねー」と笑おう。
そんなことを思いました。
◎表紙について
「あとがき」にもあるように、ラファエロ「小椅子の聖母」のパロディ。
ツレ⇒聖母マリア
ちーと君⇒幼子キリスト
貂々さん⇒少年の姿をした聖ヨハネ
という配役。母のポジションにツレさんがいるわけですね。
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