1958年秋の東都大学リーグはまれに見る大混戦となった。なんと5チームが勝ち点3で並び、勝率でも日大、中大、学習院大の3チームが並ぶ異例の事態。結局、巴戦(3チームの総当たり)による決定戦を制したのは前評判の低い学習院大だった。
甲子園出場者はいない、プロに進む者もいない、そんな無名集団が、猛者揃いの東都をなぜ制したのか。学習院のたった一度の優勝へのドラマをひもとくノンフィクション。
トーナメントの高校野球では番狂わせは珍しくない。だが長丁場を戦う大学リーグにおいて、これだけの番狂わせはまずないのではないだろうか。
他の5大学が星をつぶし合ったこと、日大の監督が欠場したことなど、幸運はあった。しかし、一番の要素は学習院大に勝ちへの執念があったから。
気力だけでは何もできない、しかし気力がなければ強者とは戦えない。無名の選手が強豪を飲み込む痛快な戦いぶりをぜひ読んでみてください。
ひとつマイナス点を挙げるとすれば、同年の皇太子(今上天皇)と美智子皇太子妃の婚約のくだりを細かく書いていること。学習院OBの皇太子が応援に駆けつけたことから加えたのだろうが、蛇足に思える。
☆主な登場人物(肩書きは当時)
島津雅男(学習院大監督)
井元俊秀、根立光夫、穴沢健、田辺隆二、江野沢浩市(学習院大中心メンバー)
明仁(皇太子)
草刈広(学習院大一部昇格時のエース)
太田誠(駒大4年)
監督と大学野球 若者が育つということ(安倍昌彦/日刊スポーツ出版社)
斎藤佑樹と歩んだ1406日(応武篤良/ベースボール・マガジン社)
神宮の奇跡(門田隆将/講談社)
東京六大学野球史(荒井太郎/ソニー・マガジンズ)
最後の早慶戦 学徒出陣 還らざる球友に捧げる(笠原和夫・松尾俊治/ベースボール・マガジン社)
新たなる聖地 甲子園から神宮へ(企画・矢崎良一/竹書房)