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東京都 戦前の中等学校野球史(4)

◎二連盟並立

 昭和4年(1929)年、東京では従来の「東京中等学校野球連盟(以下、『東京』)」に加え、新たに「東都中等学校野球連盟(以下、『東都』)」が発足。二連盟が並立することになった。

 事の起こりは『東京』の門戸の狭さにある。当時、東京大会は『東京』主催で運営され、新規の野球部の加盟は容易でなく、加盟校以外と練習試合をすることも禁じられていた。東京では野球部を新設する学校が増えたにも関わらず、夏の大会へ参加もできず不満が増大していた。

 そこで、赤坂中(現・日大三高)、攻玉社中の指導者らを中心に『東都』が結成、独自にリーグ戦を行った。また、『東京』に無許可で遠征を行い、出場停止を命じられた早稲田実も『東都』のリーグ戦に参加した。しかし新たな連盟の存在は認められず、『東京』のリーグ戦を制した慶応商工がそのまま全国大会に出場した。

 昭和5年夏は両連盟がリーグ戦を行い、その1位校が代表決定戦を行うことになった。この結果、『東京』の慶応普通部が『東都』の早稲田実を破って全国出場を果たした。

 昭和6年夏、両連盟は合併し、新たに「東京府中等学校野球連盟」が組織された。参加校は33に達し、試合形式もトーナメントに改められた。この新たな連盟が、昭和18年まで東京の中等野球を運営していくことになる。

◎夏の予選、二次制に変更

 昭和9年、東京大会の参加校は48に増加。夏の予選は前年度の成績をもとに一次予選(6・7月)と二次予選(7月下旬)の二段階に分けられ、6月22日から7月29日の長期間に渡って行われた。この形式は昭和16年まで続く。

 なお、同年にはアメリカからベーブ・ルースを主将とする大リーグ選抜チームが来日。彼らの相手をつとめるチームを作る必要が生じ、それが日本のプロ野球創設のきっかけになった。その詳しい過程は本題とずれるので省く。

◎早慶の牙城崩れる

 昭和13年、第15回選抜中等学校野球大会に東京から日大三中が出場。早稲田、慶応勢で独占していた東京代表の椅子を初めて奪った。同年夏の東京予選も日大三中が慶応商工を破って優勝し、大正7年、赤坂中として参加して以来の宿願を果たした。なお春夏ともに全国大会では初戦敗退し、初勝利は昭和15年夏に持ち越される。

◎夏の代表三転す

 昭和14年夏、東京予選では帝京商(のち帝京商工、帝京大高)が日大三中を破り初優勝。ところが選手に未登録の高等小学生がいたことがわかり、出場辞退を連盟に申し出た。連盟は日大三中を代表に推薦したが、同校もまた選手資格違反を起こして辞退。結局、準決勝で帝京商に敗れた早稲田実が代表となって甲子園に出場した。

 なお、帝京商はその後も帝京商工、帝京大学高校と名を変えて二度甲子園出場のチャンスをつかむものの、いずれも不可抗力でしりぞけられ、悲願成就することなく平成元年(1989)に廃部となる。

昭和16年夏
 東京予選で優勝するものの、戦時体制の本格化により本大会中止
昭和44年秋
 東京都大会で準優勝し翌年の選抜に推薦されるも、校舎の火事により部の資料が焼失、「戦力分析が不可能」との理由で選考対象から外される。

※現在の強豪校として知られる帝京高校とは全く別なので注意されたい。
※2008年に野球部が再結成、秋季大会から公式戦に参加している。

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