戦前から甲子園出場経験のある日大三が、初めて全国決勝に進出したのが1962年センバツ。投手陣は右の井上治男(早大−日本石油−西鉄他)から左の豊永邦男の継投策。そして打線の中心を担ったのが、3番・一塁手の倍賞明。女優の倍賞智恵子の実弟である。
日大三は初日の開幕戦にいきなり登場。平安を7−1の大差で退けると波に乗った。2回戦の滝川戦は3点をリードされたまま迎えた9回裏を迎えたが、二死満塁から倍賞の右越え二塁打で一挙に同点に追いつくと延長12回にサヨナラ勝ち。日大三には“9回の魔術師”というニックネームまでついた。
準々決勝の鎌倉戦では、6回裏に倍賞が放ったタイムリーを井上−豊永の継投で守りきって1−0の辛勝。
準決勝では優勝候補・中京商と対戦。快速左腕・林俊彦(南海)と“野村2世”と呼ばれた木俣達彦(中日)のバッテリーの前に、強打の日大三も点を奪えない。井上、豊永の投手陣も力投し、両軍ゼロ行進のまま試合は終盤へ。9回表、日大三は無死満塁の大ピンチを迎える。しかし豊永は動じず、中京商のスリーバントスクイズを外し、続く二者を凡退できりぬけた。直後の9回裏、日大三も一死満塁のチャンスを作ると、ここで豊永の代打・石嶋攻が見事にライト前ヒットを放ち、強敵をサヨナラで打ち破った。
決勝は作新学院−日大三の関東勢対決となった。作新エース八木沢荘六(早大−東京−ロッテ)は42イニング連続無失点と抜群のコントロールを誇り、遊撃・中野孝征(日本楽器−サンケイ)を中心に守備力の高いチームだった。決戦は井上、八木沢の両投手が疲れも見せず終盤まで好投。日大三は6回裏に前田孝二、倍賞の連打でチャンスをつかむも後続が倒れて無得点。8回表に中野が三遊間へヒット、バントで送って1死二塁。ここで日大三は思い切って豊永にスイッチしたが、四球の後にライト前ヒットを打たれついに先制を許してしまう。直後の反撃も八木沢の力投の前に断たれ、0−1の惜敗。
春の都大会を制覇した日大三は夏の東京大会も優勝し、春夏連続出場を決める。選手権での倍賞は3試合中2試合3安打の固め打ちを見せベスト8入りに貢献。その年の岡山国体にも出場している。
卒業後は日大に進学。鐘紡、日産自動車でもプレーし都市対抗で活躍すると、日産自動車の監督もつとめた。現在は六本木にて飲食店を経営。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | ||
1962年春 準優勝 |
1回戦 | 平安 | ○7−1 | 4打数3安打1打点 |
2回戦 | 滝川 | ○4x−3 (延長12回) |
5打数3安打2打点 | |
準々決勝 | 鎌倉学園 | ○1−0 | 3打数2安打1打点 | |
準決勝 | 中京商 | ○1x−0 | 3打数1安打 | |
決勝 | 作新学院 | ●0−1 | 4打数1安打 | |
1962年夏 ベスト8 |
1回戦 | 徳島商 | ○2−0 | 3打数3安打 |
2回戦 | PL学園 | ○2−0 | 4打数0安打1打点 | |
準々決勝 | 西条 | ●6−4 | 3打数3安打1打点 | |
総合成績 | 29打数16安打 打率0.552 |