1980年センバツ、帝京を準優勝に導いたのがエース伊東昭光。新2年生ながら速球、カーブを内外に散らす巧みな投球にはセンスがあり、当時は無名だった帝京を一躍全国区に押し上げる原動力になった。
初戦、北陽を4安打完封で快勝。伊東は8回に無死満塁の大ピンチを迎えるも、打者の内角を攻める強気の投球で投飛併殺に打ち取り無傷でしのいだ。続く9回にも一死二、三塁と追い込まれるが、内野に指示を出すほどの冷静さで切り抜ける。2回戦の上尾戦は終盤まで1−2とリードされる展開になったが、土壇場の9回表2死で関根徹、黒坂正生の連打で追いつくと、延長12回表に大場和治がタイムリーを放って勝ち越しに成功、逆転勝利をあげた。準々決勝の秋田商戦では伊東が8安打を浴びながら完封。
準決勝は丸亀商のエース高橋宏との投手戦になった。5回裏、黒坂のタイムリーで1点をリードしたが9回表に追いつかれ、そのまま延長戦へ。そして迎えた12回裏、伊東が内角低めの球をすくい上げるようにして打ち上げた打球はレフトのラッキーゾーンへ。自らのサヨナラホーマーで決勝進出を決めた。
伊東は決勝でも高知商・中西清起(阪神)と息詰まる投手戦を繰り広げた。中西が快速球と鋭く曲がるカーブを武器に好投すれば、伊東もカーブ、スライダー、シュートを投げ分け高知商打線を封じ込める。試合は両軍無得点のまま、決勝としては5年ぶりの延長戦へ。10回裏、伊東は1死三塁のピンチを迎えた。打者の小島尚は浅いレフトフライ、三走の堀川潤は果敢にタッチアップ。帝京は左翼の江黒隆順から遊撃・大場の中継で好返球、タイミングは微妙であったが堀川が回り込んでホームにタッチしサヨナラ勝ちを決めた。
動画:1980年春・高知商との決勝
惜しいところで優勝を逃したが、伊東はまだ2年生。未出場の夏も含め、あと3度は甲子園に行ける。そう関係者が思ったのも無理はない。ところが、ここで思わぬ強敵が現れる。同年夏の東東京大会、準決勝で早稲田実と対戦した帝京は、1年生エース・荒木大輔に0−4の完封負けを喫するのである。
80年秋は1回戦で日大二に0−4。81年夏も3回戦で城西に5−12で大敗し、伊東の高校野球は終わった。卒業後は本田技研に進み、84年にはロサンゼルス五輪の日本代表のエースとして金メダル獲得に貢献。85年にヤクルトに1位指名で入団。98年までプレーし通算87勝76敗。その後ヤクルト投手コーチ、ヘッドコーチをつとめている。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1980年春 準優勝 |
1回戦 | 北陽 | ○2−0 | 4打数2安打 | 9回4安打 自責0 奪三振4 四死球2 |
2回戦 | 上尾 | ○3−2 (延長12回) |
4打数1安打1打点 | 12回9安打 自責1 奪三振3 四死球3 | |
準々決勝 | 秋田商 | ○2−0 | 3打数0安打 | 9回8安打 自責0 奪三振7 四死球3 | |
準決勝 | 坂出商 | ○2x−1 (延長12回) |
5打数3安打1打点 1本塁打 | 12回3安打 自責1 奪三振9 四死球6 | |
決勝 | 高知商 | ●0−1x | 4打数0安打 | 9 2/3回6安打 自責1 奪三振1 四死球1 | |
総合成績 | 20打数6安打 打率0.300 | 51 2/3回 自責3 防御率0.52 |