日大三に初の栄冠をもたらしたのが、1年秋から左腕エースだった渡部良克である。打者の膝元をえぐる速球と大きく曲がり落ちるカーブを武器に、1971年センバツの優勝投手となった。
初めて甲子園にやってきたのは70年センバツ。初戦で八代東を4安打完封するも、続く2回戦では淡口憲治(巨人−近鉄)、羽田耕一(近鉄)擁する強打の三田学園に打ち込まれて3−5と敗退している。
翌年、渡部は投球に安定度を増してセンバツに戻ってきた。初戦、鹿児島商で12三振を奪う快投を見せて完封。2回戦では沖縄県勢としてセンバツ初勝利を挙げた普天間に追い上げられて苦しんだものの、この試合でも奪三振12。7−6で何とか振り切った。
準々決勝の深谷商戦は、大会ナンバーワン投手と言われた竹内広明(大洋)との投手戦になった。ゼロ行進で迎えた5回裏、日大三が鮮やかな盗塁を絡めて3点を奪うと、渡部が完封して3−0の快勝。準決勝の坂出商戦では2回裏にスクイズを決めて先制すると、3回裏に3番吉沢俊行(早大−阪急)のソロ本塁打が飛び出し2点をリード。これを渡部が守りきってまたも完封。
決勝の相手は大阪代表の大鉄。初回、日大三は肘痛をおして登板した奥田直也をいきなりとらえる。1死二、三塁の好機をつかむと、女房役の4番岩沢健一のタイムリー二塁打で2点を先制。渡部は3回まで三者凡退と全く危なげない投球を見せ、4回に初めて死球で走者を出すものの、その後チャンスらしいチャンスを与えず大鉄を1安打完封。それまで三振も奪うが四死球も出すというのが渡部のスタイルだったが、決勝では冷静そのもののピッチングでわずか3四死球。3試合連続となる完封で大会を締めくくった。
春夏連覇を狙った同年夏は、東京大会準決勝で日大一に7−0で敗退。渡部は2本塁打を浴びて途中降板し、悔しいマウンドとなった。
卒業後は日大に進学するも肩を痛めて引退。一時はサラリーマンになったがのちに接骨院を開業し、そのかたわら秋田高のトレーニングコーチをつとめた。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1970年春 2回戦 |
1回戦 | 八代東 | ○2−0 | 3打数0安打 | 9回4安打 自責0 奪三振9 四死球3 |
2回戦 | 三田学園 | ●3−5 | 4打数1安打 | 9回9安打 自責2 奪三振4 四死球6 | |
1971年春 優勝 |
1回戦 | 鹿児島商 | ○6−0 | 3打数2安打 | 9回3安打 自責0 奪三振12 四死球5 |
2回戦 | 普天間 | ○7−6 | 2打数0安打1打点 | 9回9安打 自責2 奪三振12 四死球3 | |
準々決勝 | 深谷商 | ○3−0 | 2打数0安打 | 9回3安打 自責0 奪三振9 四死球3 | |
準決勝 | 坂出商 | ○2−0 | 2打数0安打1打点 | 9回3安打 自責0 奪三振9 四死球6 | |
決勝 | 大鉄 | ○2−0 | 2打数0安打 | 9回1安打 自責0 奪三振6 四死球3 | |
総合成績 | 18打数3安打 打率0.167 | 63回 自責4 防御率0.57 |