桑田真澄、清原和博のKKコンビ擁するPL学園が注目されていた1984年センバツ。しかし、フタを開けてみれば初出場の岩倉が快進撃。のびのびした戦いぶりで一試合ごとに成長し、そのまま優勝を決めてしまった。
エースの山口重幸は絶対的な投手ではなく、前年秋は右翼手内田正行(法大)につなぐのがチームの勝ちパターン。実際、センバツの1,2回戦でも山口−内田のリレーで勝利している。特に2回戦では内田の救援と追加点となる3ランで、金足農に6−4と薄氷の勝利。
だがそれ以降は山口が調子を上げていく。準々決勝の取手二戦で初完投、シーソーゲームを制し4−3で勝利。準決勝では大船渡・金野正志(明大)との投げ合いになったが、1−1で迎えた9回裏、菅沢剛(青山学院大−熊谷組)のソロ本塁打が飛び出し劇的な決着。
そして迎えた決勝戦、PL学園相手に山口が最高の投球を見せる。カーブ、スライダーを低めに散らして凡打の山を築き、強力打線を1安打に抑えきった。打線も桑田のカーブに毎回の14三振を喫したものの、8回裏に前日サヨナラアーチを放った菅沢が値千金のタイムリー。山口が9回表を守りきって初出場初優勝を決めた。
動画:PL学園との決勝
春夏連覇を狙った夏は、東東京大会4回戦で二松学舎大付に7−9で敗退。主将・宮間豊智が3試合連続先頭打者本塁打するなど打線は活発だったが、山口が崩れてしまった。
卒業後は阪神にプロ入りして外野手に転向、平成7年にヤクルトに移籍。平成9年からは打撃投手をつとめている。プロでの投手経験なしに打撃投手を任されたのは、高校での実績を買われたからだろうか。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1984年春 優勝 |
1回戦 | 近大福山 | ○4−2 | 5打数2安打1打点 | 7 2/3回7安打 自責2 奪三振6 四死球1 |
2回戦 | 金足農 | ○6−4 | 3打数2安打 | 6 2/3回7安打 自責0 奪三振7 四死球1 | |
準々決勝 | 取手二 | ○4−3 | 4打数1安打1打点 | 9回7安打 自責2 奪三振2 四死球5 | |
準決勝 | 大船渡 | ○2x−1 | 3打数0安打 | 9回2安打 自責1 奪三振4 四死球5 | |
決勝 | PL学園 | ○1−0 | 3打数0安打 | 9回1安打 自責0 奪三振3 四死球3 | |
総合成績 | 18打数5安打 打率0.278 | 40 1/3回 自責5 防御率1.11 |