1972年のセンバツ、東京からは日大三と日大桜丘の二校がアベック出場していた。前年春優勝メンバーが多く残る日大三は優勝候補の筆頭であったが、190cm超の巨漢エース仲根を擁する初出場の日大桜丘も注目されていた。
初戦、仲根はその力を存分に見せつける。長身から投げ下ろす速球と大きく曲がるカーブを武器に、松江商を8回までノーヒット。9回に初安打を許して大記録達成こそ成らなかったが、1安打完封と上々のスタートを切った。また6番に座る打撃でも4打数4安打3打点の大暴れ。
続く高知商戦では1回裏に先制し、スミ1のまま終盤へ。高知商が8回表に同点で追いつくも、その裏仲根自らが2点タイムリー二塁打を放ち、そのまま3−1で逃げ切った。
準決勝の東北戦は小刻みに点を取り合って2−2で迎えた9回裏、仲根、上野嘉郎、川端康雄の3連打が出てサヨナラ勝ち。初出場ながら決勝戦までコマを進めた。
決勝の相手は日大三。同じ日大付属校のいわば兄弟であり、昨年秋の都大会決勝では3−2で日大桜丘がサヨナラ勝ちしている。日大三の勝ち上がりは戸畑商に16−0、専大北上に4−1、諫早に9−0、銚子商に5−3と、前年覇者に恥じない戦いぶりであった。
しかし、勢いでは日大桜丘の方が上だったのかもしれない。2回表、サヨナラ男の川端がタイムリー二塁打で先制すると、その後も小刻みに加点して試合を決定づけてしまう。この日の仲根はスピードではなく制球重視のピッチング。コースをつく投球で2安打完封、見事に初出場初優勝を達成する。
同年夏、拓大一との延長18回引き分け再試合を制するなど激戦を経て東京大会を突破。春夏連覇を狙って甲子園に乗り込んだが、1回戦で高知商と延長11回の末2−4で惜敗した。バント攻撃の前に守備陣がかき回され3失策したことが敗戦につながった。
卒業後はドラフト1位に近鉄に指名され入団。投手としては2勝8敗に終わり81年に打者に転向、88年に中日に移籍し同年引退。NHK衛星放送の大リーグ中継の解説者をつとめていたが、95年に肺ガンで死去。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1972年春 優勝 |
2回戦 | 松江商 | ○6−0 | 4打数4安打3打点 | 9回1安打 自責0 奪三振7 四死球1 |
準々決勝 | 高知商 | ○3−1 | 4打数3安打2打点 | 9回8安打 自責1 奪三振6 四死球4 | |
準決勝 | 東北 | ○3x−2 | 3打数2安打 | 9回7安打 自責1 奪三振4 四死球6 | |
決勝 | 日大三 | ○5−0 | 3打数1安打 | 9回2安打 自責0 奪三振7 四死球3 | |
1972年夏 1回戦 |
1回戦 | 高知商 | ●2−4 (延長11回) |
2打数1安打 | 11回8安打 自責1 奪三振8 四死球5 |
総合成績 | 16打数11安打 打率0.688 | 47回 自責3 防御率0.57 |