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こだわり高校野球東京都名選手列伝>(27)榎本喜八

榎本喜八/えのもと・きはち
(左投左打・早稲田実業−毎日−大毎−東京−ロッテ−西鉄)

◇プロを見据えたバッティングスタイル◇

 榎本喜八といえば、プロで打ち立てた数々の偉業と、常人には理解しがたい奇行の両方で知られている打者である。では、その高校時代はどんな選手だったのだろうか。

 1952(昭和27)年、榎本は早稲田実業に入学する。目指すのは甲子園ではなくプロ野球選手。榎本少年には、破格の給料で貧困に苦しむ家族を救うという強い意志があった。
 しかし、結果的には3度の甲子園を経験している。榎本以外にも戦力が充実し、早実が戦後の低迷期から脱した時期だった。ちなみに二塁・遊撃を守った和田明(明電舎−早実監督)は1年後輩に当たる。
 榎本の甲子園を語る上で面白いのは打順である。順番に並べてみよう。

【2年生春】 1回戦  対土佐  4番
【3年生春】 2回戦  対天理  2番
       準々決勝 対泉陽  3番
【3年生夏】 1回戦  対小倉  1番
       2回戦  対米子東 1番
       準々決勝 対高知商 1番
※守備位置は全て一塁手

 ふつう、選手は打力が上がれば打順はクリーンナップに近づくもの。榎本の場合は逆に離れていっているのである。これはなぜなのか。

 一つは、榎本の打法が早実のスタイルと合わないためだった。バットを目一杯長く握ってのフルスイングが榎本のバッティング。外角を流し打つなどは考えない。早実の短くもってコツコツ当てる打撃とはかみ合うはずがない。
 当時、早実には久保田高行という新聞記者のOBが熱心に指導に来ていた。「甲子園で確実に勝つ」ことを第一とする久保田は榎本の打撃を矯正しようとするが、彼は従わなかった。久保田は監督にも影響力があるため、榎本は時に補欠に回されることもあったが、それでもフルスイングを貫いた。

 もう一つはチャンスに弱かったこと。2年生ながら4番を打った土佐戦では4打数ノーヒット。3年で3番を打った泉陽戦でも4打数ノーヒット。また、3,4番を打つと敬遠されることも多かったという。
 こうして、荒っぽいが左のスラッガーである榎本は、最終的には1番が定位置となった。まず彼が強烈な打撃で出塁し、それを後続が返す得点パターンができたのである。

◇早実、戦後初の夏ベスト8◇

 迎えた54年夏、早実は強打で予選を勝ち抜き甲子園へやってきた。大会前の朝日新聞記者による座談会では、榎本は静岡商・興津達雄(専大−広島)、松商学園・木次文夫(早大−巨人)、水戸一・玉造陽二(西鉄)、千葉商・都築芳一らと並び、十指に入る打者との評価を得ている(54年8月12日付)。

 初戦の相手は、左の好投手・畑隆幸(西鉄)を擁する小倉高校。この試合、榎本は無安打だが2四球を選び、いずれも生還を果たしている。早実は5点を奪ったが、強打が崩したというより畑の立ち上がりの悪さと守備のミスにつけ込んだ得点だった。守っては河西宏和(大映)が2安打完封。早実、夏は昭和14年以来の勝利。

 2回戦はまたも左のエース義原武俊(巨人)がいる米子東。1回裏の米子東の攻撃、榎本は簡単な一塁ゴロをトンネルし、1点を先制されてしまう。挽回したのは3回表、2死一塁から右翼線へ長打を放って走者を返し、その後敵のエラーで自らも生還。8回にもだめ押しの1点が入り、3−1で相手を振り切った。

 準々決勝では西の強豪・高知商と対戦。今度は右のエース片田謙二(広島)が相手だった。
 試合は点の取り合いとなった。3回裏、早実は3失策が重なり3失点。負けじと直後の4回表、和田、蕪木正夫、堀内治夫の3連打などで一気に同点。
 5回裏に再び1点をリードされるも、8回に榎本、和田がチャンスを作り、4番・蕪木のタイムリーで再び同点。さらに和田はホームスチールを敢行するが、これは失敗した。
 そして迎えた9回裏、1死二塁。三塁ゴロを関口定俊が後逸し、早実の戦いは終わった。試合後、選手が「固くなった」「ダルさを感じた」などとコメントを残す中、榎本は「決して上ってはいなかった(原文ママ)。安打も一本打っている」と語っている(54年8月21日付)。

◇最後のアピール、そしてプロ入り◇

 早実はこの年の北海道国体に出場するため、すぐさま函館に向かった。甲子園の準々決勝が20日、国体の初戦が24日という強行日程である。
 国体での榎本の成績はほとんどわからないが、準々決勝の北海戦ではホームランと三塁打を放ち、4強入りに貢献。プロへの最後のアピールを終えた。

 当時はドラフト施工前で、選手獲得は各チームの手腕次第という時代。榎本は「荒いバッター」ということでどこも声をかけなかったが、早実OBの荒川博の売り込みで、毎日オリオンズへの入団を果たす。
 榎本は1年目から活躍し、「安打製造機」の異名をとる。しかし引退後はプロとの関わりを断っており、また早実OBであることが語られることも少ないように思う。

全国大会戦績

戦績 対戦相手 打撃成績
1953年春
1回戦
1回戦 土佐 ●0−6 4打数0安打0打点
1954年春
ベスト8
2回戦 天理 ○6−0 5打数1安打1打点
準々決勝 泉陽 ●1−3 4打数0安打0打点
1954年夏
ベスト8
1回戦 小倉 ○5−0 2打数0安打0打点2四球
2回戦 米子東 ○3−1 4打数1安打?打点
準々決勝 高知商 ●4−x5 2打数1安打0打点2四球
総合成績 21打数3安打 打率0.143

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