2014.9.14 アドレス変わりました。ブックマークしている方は、変更してください。(基本、あまり更新しませんが…)。
http://kodawari.sakura.ne.jp/  
こだわり高校野球東京都名選手列伝>(23)保坂英二

保坂英二/ほさか・えいじ
(左投左打・日大一−東映−日拓−日ハム)

 1963年、全国高校野球選手権東京大会の参加校数は160を突破。北海道をも越えるマンモス地区となり、参加チームは実に9試合を戦わなければ甲子園に出ることはできなかった(シード校は4回戦からスタートしていたが)。「北海道が南北2代表制なのに対し東京が1代表なのは不公平だ」という不満の声も高まり、これを解消するために1974年からは東京も東西2地区制となる。

 その分割される直前の東京大会において最も強かったのが日大一。63年に初優勝を果たすと、68年から71年は4連覇。攻守に高いレベルのチームを毎年作り、各球界にも人材を輩出した。

 保坂英二は日大一の黄金期を彩った選手の一人だ。169センチと小柄ながら左腕から放る剛球は球威抜群、1年生から公式戦のマウンドを経験し、69〜71年の決勝はいずれも先発出場している。しかし晴れの甲子園ではわずか1勝しかできず、“夏に弱い東京勢”の象徴ともなった。このページでは、東京大会に重点を置きつつ保坂の足跡を記していきたいと思う。

◇1年夏、堀越・但田との投げ合い◇

 69年夏、2連覇を狙う日大一は準決勝で堀越と対戦。相手は左腕エース但田裕介(阪神)を擁しセンバツ準優勝したチームで、事実上の決戦だった。

 この大一番で、日大一の三沢信明監督は先発に1年生の保坂を起用。立ち上がりこそ四球から失点を許すものの、その後は但田と投手戦を繰り広げ、9回の逆転勝利を呼び込んだ。

 決勝は保坂−小山のリレーで聖橋を完封し、8−0の圧勝。日大一は2年連続の甲子園を果たす。

 1回戦の東洋大姫路戦は小山が完投勝利。続く静岡商戦で再び保坂の出番がやってくる。1点差で迎えた6回、3番・藤波行雄(中大−中日)を抑えるべくマウンドへ。左対左のワンポイントリリーフだったが、結果は内野安打に終わり追加点を奪われてしまう。8回にも同じ場面で藤波に二塁打を浴びだめ押しの3点目、結局試合は1−3で敗れた。

◇2年夏、1試合17奪三振の快投◇

 70年夏、保坂はエース格に成長。左腕からの球威は増し、春季大会の桐朋戦では21奪三振を記録。選手権東京大会でも快投し、準決勝まで駒を進める。相手は兄弟校の日大三。エースは同じ2年生左腕の渡部良克(日大)で、この春のセンバツで完封も記録した好投手。

 初回、保坂は先頭打者にいきなり三塁打を打たれ、次打者のスクイズを外したものの伊藤裕啓捕手(明大−朝日生命)が悪送球して1点を先制される。その後は投手戦が続いたが、8回に保坂自らタイムリーを放ってようやく追いつくと、延長10回表に伊藤がバックスクリーンに達するホームランを放って勝ち越し。2−1でライバルを振り切った。

 早稲田実との決勝も小池との投手戦になったが、保坂が走者を背負いながらも動じず投げて完封。打線も6回のワンチャンスに2点をもぎとり3連覇を決めた。

 2度目の甲子園の初戦、保坂の快速球は冴え渡った。都城に対し毎回、全員の17奪三振。5回には自ら三塁打を放って先制のホームを踏むなど保坂の一人舞台だった。

 しかし、大分商との2回戦では別人のように乱れてしまう。2回に無死満塁のピンチを招くと、三塁牽制の動作がボークと判定されて先制を許す。その後も4回にも一死満塁から死球と暴投で2点を失うなど、独り相撲で5失点。1回戦後に補欠選手が宿舎で急死した事件がナインに影響したのか、打線も不調でチャンスをつぶし、2−5で敗戦した。

◇3年夏、伏兵・磐城に屈す◇

 そして迎えた1971年、最後の夏。センバツではエース渡部の活躍で日大三が優勝し、夏も当然優勝候補。日大一は保坂は安定しているものの打線が低調で、4連覇は危ぶまれていた。

 初戦(4回戦)の日大鶴ヶ丘戦こそ10−0と大勝したが、続く都昭和、佼成学園、日大二は接戦続き。保坂が4試合で56奪三振と力投し、どうにか準決勝までこぎつけた。

 相手は宿敵、日大三。渡部はここまで14イニングしか投げず余力充分の登板。対する保坂は30イニングと殆どを投げている。だが疲労がプラスに作用した。荒れ気味ながら球威抜群の保坂に対し、投げ込み不足の渡部は後半球速が鈍り日大一につかまる。5回、鳥谷部好夫の三塁打で均衡を破ると、6回、8回の2本塁打で渡部をノックアウト。保坂は投げるほどに調子を上げ、結局1安打完封。終わってみれば7−0の大勝で日大対決を制した。

 決勝は前日の勢いで二松学舎大付を粉砕。打線がヒット21本を浴びせれば、保坂も13三振を奪い12−2と大勝。戦前に慶応普通部が作った6連覇に次ぐ4連覇を成し遂げたのである。

 勇躍乗り込んだ甲子園では、PL学園と並び優勝候補の双璧。2回戦で福島の磐城と対戦が決まった時、誰もが日大一の勝利を疑わなかった。
 しかし、試合は重苦しい展開となった。田村隆寿投手(日大−ヨークベニマル)は小柄ながら投球術に長け、牽制も巧みだった。日大一は2回に2度二盗を失敗することでリズムが狂い、以後田村投手のペースにはまっていく。

 保坂は3回に2死から四球を与え一、二塁のピンチ。次打者の宗像治(早大)が流し打ちでライトへ運んで1点を先制。打線は反撃しようにも田村のコーナーワークの前に連打が出ない。また外野手のポジショニングも的確で、伊藤らクリーンアップの打球はことごとく打ち取られる。保坂はエンドランなどの揺さぶりをしのいで投げ続けるものの、その後も味方の反撃なく、0−1のまま試合終了。日大一の甲子園は、この年もあっけなく終わった。

 卒業後は東映に入団したが、実働7年で0勝0敗。引退後は日ハム打撃投手を84年まで務めた。現在は少年野球の指導を行っている。

全国大会戦績

戦績 対戦相手 打撃成績 投手成績
1969年夏
2回戦
1回戦 東洋大姫路 ○3−1 出場なし 登板なし
2回戦 静岡商 ●1−3 1打数0安打 2/3回2安打 自責0  奪三振1 四死球0
1970年夏
2回戦
1回戦 都城 ○2−0 3打数2安打 9回3安打 自責0 奪三振17 四死球6
2回戦 大分商 ●2−5 4打数0安打 9回6安打 自責4 奪三振6 四死球9
1971年夏
2回戦
2回戦 磐城 ●0−1 3打数2安打 9回4安打 自責1 奪三振11 四死球6
総合成績 11打数4安打 打率0.364 27 2/3回 自責5 防御率1.63

こだわり高校野球
HOME本当に訪問者が知りたい20の質問メールサイトマップリンク小ネタブログ試合観戦ブログおすすめ書籍おすすめ漫画「クロカン」
全国大会(甲子園)関連
歴代優勝校明治神宮大会国体大会回数早見表優勝アラカルトセンバツ出場校その後神宮出場校その後神宮大会・過去の選出基準神宮大会地区別戦績
東京都の大会関連
春季大会選手権大会(夏)秋季大会全国代表校一覧年代別戦績県別対戦成績よく対戦する高校東京都勢のホームラン東京都名選手列伝東京都野球場案内
関東大会関連
県別戦績各県勝率推移各県詳細成績データベース
東京都高校野球史
(1)明治 野球伝来(2)大正1 全国大会開始(3)大正2 甲子園誕生(4)昭和1 戦前の野球熱(5)昭和2 戦後の復興年表↑Top

「こだわり高校野球」Copyright (C) 2005-2017 Souichirou, All rights reserved.