その打線の中軸をつとめたのが、遊撃手の吉沢俊幸。71年は3番、72年は4番打者として、センバツで並み居る好投手からヒットを量産した。
71年は左腕エース渡部良克(日大)が5試合投げて4完封と、投手力で初優勝。しかし吉沢も3番打者として決勝以外の4試合でヒットを放ち、鹿児島商との1回戦で先制の右中間三塁打、坂出商との準決勝では左中間ホーマーと長打力を見せつけている。
翌年のセンバツ、日大三は前年の優勝メンバーが多く残り連覇を狙う戦力充分。中でも中橋俊彦、羽田悦郎(日大)、待井昇(西鉄)、吉沢と続く上位打線の破壊力は抜群だった。
初戦、戸畑商に対し自慢の打線が18安打の爆発。吉沢は二塁打、三塁打1本ずつの4安打5打点の大当たり。続く専大北上戦は1−1の同点で迎えた8回裏に一挙3点を取り4−1。準々決勝の諫早戦でも1,2回で7得点を奪い9−0の快勝。
準決勝の銚子商戦は3回裏に羽田の三塁打などで2点を奪い、終盤の8回裏に吉沢の二塁打を含む4安打で3点のだめ押しに成功。投げては待井、下手投げの小曽根修治のリレーで銚子商の反撃を断って5−3で勝利。
決勝の相手は同じ東京勢、しかも日大付属高の日大桜丘。“ジャンボ”と呼ばれた長身投手の仲根正広がエースだった。試合は小曽根、仲根の投げ合いとなったが、日大桜丘は2回、4回と小刻みに点を奪い、投げては仲根のコースをつくピッチングで点を与えない。終盤にも桜丘は三塁打を打った仲根をスクイズで返すなどだめ押しで3点をもぎ取り、結局5−0で試合を決めた。吉沢は仲根に対し3打数ノーヒットに終わった。
夏の東東京大会は6回戦(ベスト16)で都戸山に0−2で敗戦し、日大桜丘との再戦はかなわなかった。卒業後は早大に進学、2年春には外野手でベストナインを受賞。76年にドラフト3位で阪急入りすると、遊撃と外野を兼ねるユーティリティプレーヤーとして黄金期のブレーブスを支えた。86年南海に移籍し同年引退。阪急、阪神のコーチをつとめた。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | ||
1971年春 優勝 |
1回戦 | 鹿児島商 | ○6−0 | 4打数1安打2打点 |
2回戦 | 普天間 | ○7−6 | 4打数1安打1打点 | |
準々決勝 | 深谷商 | ○3−0 | 4打数2安打1打点 | |
準決勝 | 坂出商 | ○2−0 | 4打数3安打1打点 1本塁打 | |
決勝 | 大鉄 | ○2−0 | 4打数0安打 | |
1972年春 準優勝 |
1回戦 | 戸畑商 | ○16−0 | 6打数4安打5打点 |
2回戦 | 専大北上 | ○4−1 | 4打数2安打 | |
準々決勝 | 諫早 | ○9−0 | 5打数2安打1打点 | |
準決勝 | 銚子商 | ○5−3 | 4打数2安打1打点 | |
決勝 | 日大桜丘 | ●0−5 | 3打数0安打 | |
総合成績 | 40打数17安打 打率0.425 |