1969年センバツ、初出場の堀越を準優勝まで導いたのがサウスポー但田裕介だ。投球だけでなく5番に座る打撃でも存在感を見せた。
初戦の釧路一戦では3安打完封勝利。打っても2本の三塁打を放ち2打点。
続く準々決勝では、淡口憲治(巨人−近鉄)、山本功児(巨人−ロッテ)擁する強打の三田学園と対戦。但田は4回裏に2走者をおいて自ら中越え三塁打を放つと、強力打線を8回の山本のタイムリーによる1失点に抑えて2−1で逃げ切った。
その後も但田の調子は上がらず三重に小刻みに追加点を許し、ついにファーストに退いた。三重は攻撃の手をゆるめず17安打12得点と大量リード、打線も上西の速球とカーブを交えた投球に沈黙し、結局0−12と大敗を喫してしまった。
動画:1969年春の甲子園・三重との決勝
夏の東京大会は準決勝で日大一に3−5で敗退。卒業後は阪神に入団したが、実働3年で一軍登板なく引退。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1969年春 準優勝 |
2回戦 | 釧路一 | ○8−0 | 4打数2安打2打点 | 9回3安打 自責0 奪三振9 四死球1 |
準々決勝 | 三田学園 | ○2−1 | 3打数2安打2打点 | 9回6安打 自責1 奪三振8 四死球5 | |
準決勝 | 博多工 | ○2−0 | 3打数0安打 | 9回2安打 自責0 奪三振1 四死球5 | |
決勝 | 三重 | ●0−12 | 3打数1安打 | 7 1/3回14安打 自責7 奪三振4 四死球4 | |
総合成績 | 13打数5安打 打率0.385 | 34 1/3回 自責8 防御率2.10 |