1986年夏、西東京大会を制したのはニューフェイスの東亜学園。そのエースが川島堅で、2年生ながらマウンド度胸のよさを見せた。しかしこの年は打率0.369の打線の影に隠れており、甲子園でも初戦で米子東に1−3とあっけなく敗れている。
翌年夏、東亜学園は2年連続西東京の代表となる。川島は盤石のエースに成長し、予選全イニングを投げきり防御率1.21。自信を持って甲子園に乗り込んだ。初戦の伊野商戦、川島は無四球のピッチングで2−1の勝利。続く金沢戦はまたも無四球完投、しかも毎回の14奪三振。3回戦の延岡工戦でも無四球で投げ抜き完封、初めて四死球を記録したのは準々決勝の北嵯峨戦の8回。実に34 2/3イニング連続無四球を記録する。「甲子園史上最も美しい」と評されたフォームからの制球力は抜群だった。
準決勝は常総学院・島田直也(ヤクルト他)との投手戦。東亜学園は6回表に仁志敏久(巨人−横浜)の失策から1点を先制するも、8回に川島が島田のソロを浴び同点。延長にもつれこんだ10回裏無死、島田がライト前ヒットで出塁すると、続く仁志の打球を遊撃・西村英史(東芝府中)が悪送球。ボールが右翼フェンス間を転々とする間に島田が長駆ホームイン、サヨナラ負けを喫してしまう。
1987年夏の甲子園での川島投手(金沢戦、北嵯峨戦)
卒業後は広島カープに入団するも大成せず、実働7年で1勝4敗。台湾球界を経て引退した後、柔道整復師の資格を取得し、2001年より武蔵境中央整骨院院長。2007年からは一橋整骨院院長。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1986年夏 2回戦 |
2回戦 | 米子東 | ●1−3 | 2打数0安打 | 8回8安打 自責2 奪三振5 四死球3 |
1987年夏 ベスト4 |
1回戦 | 伊野商 | ○2−1 | 1打数0安打 | 9回6安打 自責1 奪三振8 四死球0 |
2回戦 | 金沢 | ○3−2 | 2打数0安打 | 9回6安打 自責2 奪三振14 四死球0 | |
3回戦 | 延岡工 | ○3−0 | 3打数1安打 | 9回6安打 自責0 奪三振4 四死球0 | |
準々決勝 | 北嵯峨 | ○3−0 | 3打数0安打 | 9回3安打 自責0 奪三振14 四死球1 | |
準決勝 | 常総学院 | ●1−2x (延長10回) |
3打数0安打 | 9回6安打 自責1 奪三振5 四死球2 | |
総合成績 | 14打数1安打 打率0.071 | 53回 自責6 防御率1.02 |