1992年センバツ、帝京のエース三沢興一は抜群の安定感を見せて優勝投手に輝いた。前年秋の防御率は主な投手の中でもブービーで、むしろ4番を務める打撃で注目された存在だった。それが大会が始まると2点以上は取られない万全のピッチング。130キロ代後半の速球で押すのではなく大小二種類のカーブとフォークを投げ分ける投球術を駆使して5試合を完投した。
戦った5試合は、いずれも相手投手が好投する苦しい展開。三沢の好投とここぞという時に得点する打線がなければ勝ち上がれなかった。1回戦の日高戦は6回に押し出しで1点を奪い1−0の辛勝。2回戦の佐賀商、準々決勝の三重はいずれも終盤に三沢の長打で勝ち越し逃げ切った。
決勝の東海大相模戦も大会屈指の右腕・吉田道(近鉄)との投げ合いになった。帝京は2回、4回ともに林俊幸の適時打で3点を奪うが1点差にまで追いつかれ、9回に2死一、二塁のピンチ。ライト前ヒットを許しあわや同点と思われたが、右翼手・宮崎晃人の渾身のバックホームで二走が本塁タッチアウト、劇的な幕切れでセンバツ初優勝を果たした。
動画:1992年春の甲子園・東海大相模との決勝
こうしてエースとしての役割は全うしたものの、もともと三沢は守備と打撃で評価されていた選手だった。2年春は正三塁手で甲子園に出場し、8打数2安打。夏には東東京大会決勝で先制3ランを放つなど長打力が開花、甲子園でも坂出商戦、池田戦と2試合連続でアーチを放ち、しかも2本目は満塁弾。3年生エースの豊田智伸(青山学院大)を助けてリリーフとしても起用されたが、主に打撃でベスト8入りに貢献した。
◇まさかの初戦敗退、連覇ならず◇春夏連覇を狙った夏の東東京大会は、持ち前の打線が快調で6試合全て2桁得点を記録。圧倒的強さで甲子園に乗り込んだ。しかし前田三夫監督はセンバツのように接戦での競り合いを経験していないことに危機感を覚えたという。
その予感は現実となった。1回戦の尽誠学園戦、エースの渡辺隆文(東邦ガス)のキレのあるスライダーに帝京打線は凡打の山。2回に渡辺のタイムリーにより失った1点などすぐに返せるはずが、連打が全く出ず、いい当たりはことごとく野手の正面をつく不運。試合はそのまま終盤を迎え、9回も三者凡退でゲームセット。まさかの初戦敗退で連覇の夢は潰えた。
卒業後は早大に進学し東京六大学で通算31勝。通算奪三振402は早大・和田毅(ソフトバンク)、法大・江川卓(巨人)に次ぐ記録。プロ入りした巨人では主に中継ぎとして活躍。その後近鉄−巨人−ヤクルトと渡り歩き、2007年からは中日投手、2008年はアメリカ独立リーグに挑んでいる。
戦績 | 対戦相手 | 打撃成績 | 投手成績 | ||
1991年春 2回戦 |
1回戦 | 熊本工 | ○3−2 | 3打数1安打 | 登板なし |
2回戦 | 桐生一 | ●7−8 | 5打数1安打1打点 | 登板なし | |
1991年夏 ベスト8 |
1回戦 | 福井 | ○8−5 | 4打数2安打1打点 | 5 2/3回2安打 自責1 奪三振6 四死球2 |
2回戦 | 坂出商 | ○13−0 | 6打数1安打1打点 1本塁打 | 登板なし | |
3回戦 | 池田 | ○8x−6 (延長10回) |
5打数2安打4打点 1本塁打 | 5回5安打 自責2 奪三振5 四死球1 | |
準々決勝 | 大阪桐蔭 | ●2−11 | 4打数3安打1打点 | 1回6安打 自責4 奪三振0 四死球0 | |
1992年春 優勝 |
1回戦 | 日高 | ○1−0 | 3打数0安打 | 9回7安打 自責0 奪三振9 四死球2 |
2回戦 | 佐賀商 | ○5−1 | 5打数1安打1打点 | 9回6安打 自責1 奪三振13 四死球3 | |
準々決勝 | 三重 | ○3−2 | 5打数2安打2打点 | 9回7安打 自責0 奪三振10 四死球2 | |
準決勝 | 浦和学院 | ○3−1 | 3打数0安打 | 9回6安打 自責1 奪三振5 四死球3 | |
決勝 | 東海大相模 | ○3−2 | 5打数2安打 | 9回12安打 自責2 奪三振2 四死球1 | |
1992年夏 1回戦 |
1回戦 | 尽誠学園 | ●0−1 | 3打数1安打 | 8回6安打 自責1 奪三振8 四死球4 |
総合成績 | 詳細不明 | 62 2/3回 自責12 防御率1.72 |