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こだわり高校野球東京都名選手列伝>(2)小沢章一

小沢章一/おざわ・のりかず
(右投右打・早稲田実業−早大)

◇“大輔フィーバー”の影で◇

 1980年夏、甲子園は一人のアイドル投手に熱狂していた。早実・荒木大輔(ヤクルト−横浜)。1年生ながら44 2/3イニング連続無失点の快投、甘いマスクもあいまって一気に注目される存在となる。この夏は準優勝に終わったものの、そこから5季連続出場。ファンは“大輔フィーバー”に湧いた。
 その荒木大輔をバックから支え続けたのが小沢章一。1年生から正二塁手のポジションをつかみ、荒木同様5季連続で甲子園を経験した。1年夏は9番、秋からは1番を任され、切り込み隊長と内野守備の要の役割を存分に果たした。

 甲子園には14試合にスタメン出場し、交代したのは1年夏準決勝の瀬田工戦のみ。また無安打は3試合のみとムラのない打撃が特徴だった。鉄壁の守備でも荒木をもり立てたが、5度の甲子園で優勝はできず。1年秋以降は3年春夏のベスト8が最高成績だった。

◇命をかけた指導者の道◇

 高校卒業後、早大へ進学するも肩を痛めて1年で現役引退。残る大学3年間を母校のコーチとして過ごし、卒業と同時に私立の千葉英和高校に赴任。87年のことだった。
 当時の野球部は1,2回戦止まりの弱小校だったが、小沢監督の指導により躍進する。2年目の88年夏は早くも千葉大会ベスト8に勝ち上がると、以降も断続的に上位に食い込んだ。
 だが甲子園には後一歩届かない日々が続く。それに加え、パニック障害とストレスからくる体調不良と戦いながらの監督業。2000年は丸一年自宅療養を余儀なくされ、翌年もベンチではなくスタンドからチームを見守った。
 02年は過去最高の千葉大会ベスト4に食い込んだが、これが最後の栄光となった。高校時代甲子園を知り尽くした男は、監督としては甲子園を知らぬまま、平成18年1月肝臓ガンで永眠。享年41歳。

 小沢が亡くなった年、偶然にも母校の早実は小沢1年の夏以来26年ぶりの選手権決勝に進出、悲願の初優勝を果たす。

全国大会戦績

戦績 対戦相手 打撃成績
1980年夏
準優勝
1回戦 北陽 ○6−0 4打数1安打
2回戦 東宇治 ○9−1 4打数2安打1打点
3回戦 札幌商 ○2−0 3打数2安打
準々決勝 興南 ○3−0 3打数1安打
準決勝 瀬田工 ○8−0 3打数2安打
決勝 横浜 ●4−6 3打数1安打1打点
1981年春
1回戦
1回戦 東山 ●2−6 2打数0安打
1981年夏
3回戦
1回戦 高知 ○4−0 4打数3安打1打点
2回戦 鳥取西 ○5−0 4打数1安打2打点
3回戦 報徳学園 ●4−5x
(延長11回)
5打数0安打
1982年春
ベスト8
1回戦 西京商 ○3−1 4打数0安打
2回戦 岡山南 ○3−0 5打数1安打
準々決勝 横浜商 ●1−3 3打数1安打
1982年夏
ベスト8
1回戦 宇治 ○12−0 6打数2安打2打点 1本塁打
2回戦 星稜 ○10−1 5打数2安打2打点
3回戦 東海大甲府 ○6−3 4打数3安打
準々決勝 池田 ●2−14 2打数1安打
総合成績 64打数23安打 打率0.359

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